Souls Flow

三章 塔ノ姫君 08

朽ちた壁。 崩れ落ちた彫刻の残骸。
廃墟である無人の広間は漆黒の闇に覆われていた。
夜よりも深い、闇だ。
不意に、外部から隔絶されたその空間がゆらりと蠢き、暗がりに青白い燐光が灯った。
ひび割れた床を這うその光は複雑な紋様を描き、やがて一つの魔方陣を浮かび上がらせた。
その最後の紋様が完成した瞬間、光は眩さを増した。 漆黒をこじ開けるように。
・・・ふっ、と。
その光の上に女の影が浮かび上がる。

「・・・・・・ああ」

細身の影は、曖昧な輪郭からはっきりした実体へと変化する。
同時に、下方から影を照らし出す魔方陣の輝きは弱まっていった。
そして、残光が消えた。
女は血の気のない顔を上げる。
水のように波打つ薄青の髪と真紅の唇が対照的な、美しい女であった。
黒い服を纏う女の姿はもう、揺らがない。 完全に実体を取り戻したようであった。

「・・・・・・贄を・・・・・・」

唇から零れ出た声は美しかったが、同時に聞く者の背筋を冷やすような酷薄さを帯びている。
艶やかな髪と同色の瞳が閉ざされた瞬間、彼女は広間からすうっとかき消えた。



────翌朝の早朝。
宿の裏手からは、何かが激しくぶつかる音がひっきりなしに響いていた。
炊事場の周囲に広めに取られたその裏庭で、真剣に打ち合うミロとアンリの姿がある。
約束通り、出発するまでの一時を使って、ミロはアンリに剣を教えていた。
ただし、二人が手にしているのは宿から借りた箒だ。
刃を潰していない剣で斬りあって、万が一怪我でもしたら目も当てられない。
箒で切り結ぶ二人の様子は傍目にはとても滑稽だったが、当人達は至極真面目に稽古に取り組んでいた。

ガツッ

アンリの上段からの一撃は、男に難なく弾かれた。
一歩下がった刹那、閃光のごとく踏みこむ。
だが、アンリの鋭い突きをミロは危なげなく跳ね上げると、そのまま体を反転させてアンリの胴に棒を振り抜く。
とっさに前転してかわしたアンリだが、背後を取ったミロが振り下ろす一手で完全に敗北を喫した。

「・・・参りました」

首筋にぴたりと当てられた箒の柄に、アンリは降参の意を示す。
無言のまま、ミロは箒の先を下げた。
膝をつくアンリは溜息を零しながら立ち上がり、彼から箒を受け取る。

「・・・・・・その体格であの速さはずるいよー」
「お前も、なかなか強い」
「うー。 そう言ってくれるのは嬉しいけど、完敗だもんね。 次は、絶対一本取ってやる」

悔しそうにぶつぶつ呟きながら、建物の壁に箒を立てかける。
そして炊事場の隅に置いてあった荷物と剣を手に取った。ミロは自分の大剣を背負う。
それを指して、アンリは言った。

「その剣、形質保持の魔法がかかってるね」

ミロは僅かに目を瞠った。

「分かるのか」
「まーね。 魔法かかってる物は見て大体分かるよ。 一応魔法剣士だもん」

軽く胸を張ったアンリが得意げに言う。 そして、彼の大剣をもう一度ちらりと見た。

「一年以上手入れもせずに錆び一つ無いなんて、よっぽど腕のいい魔具師さんが作ったんだろうねー」

先日、魔獣を屠ったミロの剣には一片の曇りもなく、冴え冴えとした輝きを放っていた。
感心するアンリの腰に捌いた剣を、男は顎で示す。

「お前の剣は、風属性を帯びているのだろう」

アンリの戦いぶりから気付いたのだろう。 背の高い連れにアンリは軽く頷く。

「うん。 これ、ロイドライトを鍛えて作ってあるんだ。
 何年も使ってるから、すっかり風属性に馴染んでる」

アンリは自分の腰に結わえた細身の剣の柄に触れた。
こちらも魔法剣士用に作られた魔具の一種だ。
魔力を通す金属、ロイドライトは魔法剣士用の武器によく使われる金属で、魔力を良く通す。
それによって、それぞれの属性に合わせた魔法と剣技を併用した攻撃が可能になる。
アンリが使う風の刃もその一つと言えた。
剣から顔を上げたアンリは、ふと思いついたように言葉を継いだ。

「ミロも魔法剣士の素質、あると思うな。 時々感じる魔力の波動がすごいもん」
「・・・そんなことはない」
「そっかなー。 僕より強くなりそうだけどな。
 でも、今は魔法を習うの大変だもんね。 僕の場合はたまたま育ての親が魔導師だったから教わってたけど」

「ま、そんだけ剣が使えれば、魔法なんていらないか」 と会話を締めくくると、アンリは猫のように体を伸ばした。

「じゃあ、いこっか」

歩き出したアンリに頷いて、ミロも足を踏み出す。
吸いこまれそうなほど青い空の下で、二人は街道へと歩き出した。



サンティまでの道程は長閑なものだった。
街道の両側には見渡す限り牧草地や畑が続き、その上を柔らかい風が吹き抜けてゆく。
春の日差しは穏やかで、鼻歌でも歌いたいくらいだった。

途中、二人は木陰で休憩がてら宿で作ってもらった昼食を取ったが、できるだけ早くサンティに到着するため、最低限の休息で街道に戻った。
疲れないように一定の速度を保ったまま歩く。
すると、間もなく風景に変化が表れた。
縦に長い巨大な岩が、平かな地表から天に向かって幾つも突き出している。
街道は、その巨岩の間を縫って緩く蛇行していた。
まるで巨人の影のようだ。
街道のすぐ側に聳え立つ岩の一つを見上げて、アンリはそう思った。
その巨人の足元を行き交う小人のような人々の姿が次第に増えていく。 それは、公都へと近づいていることを示していた。

往来する人々や風景をきょろきょろと物珍しげに見回していたアンリは、隣を歩く男と視線がぶつかった。
彼は、前を見てみろ、と目で促す。
連れの視線の先にある物を見て、アンリは息を飲んだ。
手前の岩の背後から現れた、一際大きく聳える岩山が何かを理解して、新緑色の瞳を丸くする。

「・・・すっげー!!」

それは、岩山であって岩山ではない。
自然の岩盤を削り出して作られた、遠目でも見上げるほど大きな建造物。
公都の象徴にして、ローシェンブルグ公国の中枢。
この国を治める女公が住まう城であった。

そして巨大な城の下部分から裾野にかけて広がるのは大陸最古の町の一つ、公都サンティだ。
その町並みは城と同じく灰がかった白色である。
箱のような形の石造の建物は、この辺りで産出される石が使われているのだろう。
町のすぐ傍には、陽光を反射した大河が光る蛇のようにゆったりと蛇行していた。



町に入ると、二人は人に道を尋ねながら城近くの宿屋が集まった通りを目指した。
通りには、人々が溢れかえっている。
さすが公都だ、と思いながら、アンリは連れとはぐれないように注意しながら人混みを縫って進む。

入り組んだ小道が縦横に巡らされた古い町は、主要な道路から一歩入れば自分がどこにいるのかさっぱり分からなくなりそうであった。
サンティに初めて足を踏み入れる者は必ず三度は迷うという噂を思い出して、アンリはそれに激しく納得した。
ミロは大変だろうな、と顔を上げれば、いつもの無表情が僅かに顔色を失くしている、ようだ。
何か対策を立てなきゃなあ、とアンリは内心呟く。

サンティに入ってから一刻ほどして、ようやく二人は宿屋が数件集まった通りに辿り着いた。
取りあえずここまで来れたことにアンリはほっとする。 そして、手頃な値段の宿と話をつけて二部屋を借りた。
アンリ自身は女であることを隠し通す自信があったので別にミロと同じ部屋でも良かったが、意外なことに、ミロの方がそれを頑なに拒否してきた。
「すまない」 と謝る彼にあまり深くは突っ込まず、言われるままに二部屋を借りる。
そもそも、アンリにとってもそちらの方が都合が良い。

宿の主から鍵を受け取り、受付の横にある階段から彼らは二階に移動した。
が、それぞれの部屋に入る前に、アンリはちょいちょいとミロを手招いた。

「ちょっと、手ーかして」

無表情のまま数度瞬きして、男は無言で指された左手をすっと差し出した。
アンリはその手首に紐のような物を巻きつける。

「はい、いーよ」

ミロと比べて二周りは小さな手が、彼の手首から離れた。
彼は、結びつけられたそれを目の前にかざした。 紐に通された褐色の石が揺れ、夜空のような瞳に映りこむ。

「迷子にならないための魔具だよ。 ここに来る途中の市で売ってた」

アンリは掌にもう一つ、同じような褐色の石を乗せた。

「この石と一対になってて、お互いの場所を光で示すんだ」

ミロの手首で揺れる石は、猫目石の如く縦の筋になった光を宿し、それはアンリの手の中の石に向かっている。
同じように、アンリの持つ石の光はミロの方を示していた。
迷路のように入り組んだこの町では、このような魔具が重宝されるのだろう。
・・・・・・主に子供が身に付ける物であろうが。

「こっちを部屋に置いておけば、ミロも真っ直ぐ宿に帰って来れるかなと思って」
「すまない」

子供用かもしれない、などということは全く気にした様子もなく、ミロは素直に頷いた。

「あんまり遠くに行ったら効力が無くなるけど、この町の範囲だったら平気だから。
 あ、帰ってきたら一応声かけて。 僕もそうするし」
「ああ」
「じゃあ、健闘を祈ってる」

もう一つの石をミロの大きな掌に乗せると、アンリは微笑んだ。
早速仕事を探しに行くというミロは、今夜は別行動だ。
大柄な連れに軽く手を振って、自分の部屋の扉を開けたアンリは、床に荷物を置いた。
まだ日が暮れるまでに時間がある。
近くを散策してみようと思いながら、ふと、ミロがアンリとの同室を嫌がった理由が自分と同じだったらどうしよう、と一瞬想像した。

(・・・・・・。 いやー、それはないな!)

非常に目を引く美貌の持ち主だが、ミロの骨格は明らかに男だ。
彼がドレスを着ているところを想像し、アンリは思わず笑ってしまった。
・・・・・・安宿の壁は薄い。 そして実は、ミロの聴覚は人並み以上に鋭敏であった。 そのため、隣から漏れ聞こえてくる変な笑い声に、彼は笑われている本人だと知らないまま形の良い眉を顰めたのだった。

copyright (C) 2009 * 水 中 花 * All Rights reserved.
無料レンタル掲示板,チャット