Souls Flow

三章 塔ノ姫君 09

部屋で手早く荷物を整理すると、アンリは立ち上がった。

「よっし、出かけよー!」

一日がかりの移動で疲労を感じてはいたが、初めて訪れた大都市への好奇心の方が勝った。
宿の扉から表に出て、アンリは大通りの明るい喧騒の中を歩き出す。
さしあたっての目的地は、先程ちらっと見た市場だ。
歩き出したアンリはあえて、大通りから伸びる細い路地に足を向けた。
入り組んだ路地を探検するのも面白いかもしれない、とそう思ったのだ。



山育ちのアンリは、方向感覚には割と自信がある。
日が差していれば、入り組んだ裏道でもそう難しいことはない。
太陽の位置で何となくの方角を確認すれば、遠回りでも確実に目的地には近づく。
もし道に迷ったとしても人に尋ねればいいだけのことだ。

時折人とすれ違う細い路地を、頭上を確かめながら暫く歩くと、急に目の前が開けた。
無数のテントで埋め尽くされ、威勢の良い掛け声が飛びかうそこは、目指していた市場。

「やっぱ、広いなあ」

翡翠色の目を輝かせて、早速アンリは賑やかな市場に足を踏み入れる。
先程は端を通り抜けただけだったので気づかなかったが、テントが立ち並ぶ市の内側は、区画ごとに食品や道具、装飾品など同種の商品を売る店が集まっていた。
その区画は、大人三人がすれ違える程度の細い通路で区切られている。
大きな荷物を抱え持つ人々にぶつからないよう注意しながら、アンリは気の向くままに市場の中を歩き回った。
何に使うのか良く分からない、婉曲した大型の鉈や、おそらく北方で編まれた色鮮やかな絨毯など、見ているだけで面白い。

そうやって店を巡っていると、果物屋が集まる区画に出た。
日除けのテントが張られた売場には、黄色や赤の、色とりどりの果物が所狭しと並べられている。
中でも、見た事の無い赤い実が目を引いた。
興味津々で手前の店に歩み寄ったアンリは、売場の奥に座る店主の女にそれを指差して尋ねる。

「ね、おばさん、これ何ていう果物?」
「あら、いらっしゃい。 これはねえ、トハクって言うんだよ」
「美味しい?」
「美味いよ! 今、旬だからね」

女の返事に、へー、と相槌を打つ。
ちょうど小腹を満たす何かが欲しかったところだ。

「これ、一つちょーだい」
「はい、毎度あり!」

金を受け取ると、彼女は 「籠から好きなの選んで行きな」 と顎をしゃくる。
どれにしようか吟味しているアンリに、女は気さくに話しかけてきた。

「あんた、トハクを知らないってことは、他所から来たのかい?」
「そう、今日この町に着いたんだ。 すごくいい町だよねー。 気に入っちゃった」
「そりゃあ、誉れ高きローシェンブルグ女公閣下のお膝元だもの。
 ただ、最近はこの公国の領域でも、大陸の西側みたいに魔獣が出るらしいけどね」

後半、女は声をひそめた。 その言葉に、街道で遭遇した禍々しい魔獣の姿がアンリの脳裏に蘇った。 愉快とは程遠い記憶。
しかし、アンリは内心を押し隠し、女に対して 「本当?」 と驚いた風を装った。
この話をしても、悪戯に相手を怖がらせるだけだろう。
また余計な会話で口を滑らせて、魔法が使えることを知られてはまずい。
アンリの心中を知らない女は、「ああ、本当らしいよ。 でね」 と更に声を低くした。

「・・・最近ローシェンブルグで魔獣が出るのは、女公閣下の一の姫のせいだって噂があるんだよ」
「え?」

初めて耳にする話に、アンリは翡翠色の目を瞠る。

「姫様の魔力が強過ぎて、西から魔獣を引き寄せてるんだって」
「・・・そんな」
「姫様は、感情的になると魔力が暴走して、あの頑丈な城の壁を壊したり人を怪我させたりするって話さ。 背徳の魔導師も、小さい頃はそうだったって言うからね」
「・・・うん。 魔力が強すぎると、そういうことがあるかもしれない」
「ああ、だとすると怖いよねえ。
 姫も、もしかしたらあの魔導師みたいになるかもしれないってことだろ?
 女公閣下は廃嫡も考えてるらしいけど、他にお世継ぎもいないし。 先が心配だよねえ」

嘆息した女をアンリは何とも言えない表情で見やった。
気を取り直し、トハクの籠に手を伸ばす。

「おばさん、僕、これにするよ」
「あ、ああ。 それ、皮ごと食べられるからね。 良かったらまたおいで!」
「うん、ありがとう」

笑顔の店主に手を振り、店の前から移動しながらアンリは顎に手をやって考えこんだ。
確かに、魔獣は魔力の強い者を好んで襲う傾向がある。
襲った者の魂を取り込んで自らの糧にする彼らの性質を考えれば、それは当然と言えた。
魂の力は、魔力の強さとなって現れる。
だから全く無関係、とは言い切れない。
だが、それなら自分やジオットはもっと魔獣と遭遇していいはずだ。
実際、アンリが魔獣を見たのは、先日が初めてのことである。

・・・おそらく、魔導師への偏見がその事実と結びついて 「魔力が魔獣を呼び寄せる」 噂になったのではないだろうか。

そこまで考えて軽く頭を振った。 ふと、手の中の果物を思い出す。

(そういえば果物買ったんだっけ)

アンリは、熟した果実特有の香りを漂わせる赤い実に、しゃり、と軽く歯を立てた。
甘い果汁が口中に広がる。

「おいしい」

すっかり実の部分を齧って芯だけになった果物を屑籠にぽいと捨てる。 腹が満たされて、少し気分が良くなった。
男装の少女は一つため息をついて、市場の喧騒の中を再び歩き出した。



────その頃。
アンリと別行動を取ったミロは、職業登録所から宿に帰る途中だった。

「一緒に行こうか?」 と心配そうな連れの申出を断って出てきたが、当然アンリのその不安は的中した。
彼は、宿で描いてもらった地図を手に、町の中央の職業登録所へ向かった。 普通なら四半刻もかからない道程に一刻余りを費やし、終業直前に何とか間に合わせたのだが。
辿り着けたのが奇跡かもしれない。
手首の石を確かめるミロは、人事のようにそう思う。

(・・・気のせいかもしれないが)

ミロは、間違った道に入り込もうとして角まで戻りながら、つらつらと考える。
アンリと行動を共にするようになって、自分の方向感覚が改善されたように思うのだ。
アンリがそれを聞いたら、爆笑しながら 「それはない」 と否定しそうなので、言う気はないが。
しかし、他にも気になることがあった。
ミロは、他人の顔を覚えるのが非常に苦手だった。 しかし、何故かアンリの顔はすぐ覚えた。
メーヘレンでは、朝食を取る旅人で混雑する宿の食堂で、ミロはアンリを簡単に見つけた。
これは、彼にとってあまり経験のないことだった。

方向感覚は壊滅的。 人の顔は全く覚えられない。
気づいた時には既にこの状態だったため、ミロは別段不便を感じていない。
寧ろ他の人々が真っ直ぐ目的地に行けたり、久しぶりに会った人間の顔を覚えていることの方が不思議だ。
エンクの町で再会した男に関しても、あちらから声をかけなければ絶対に気づかなかっただろう。

日が傾きはじめた町を一人歩く長身の男は、取り留め無く己の変化について考えていた。
物思いに耽る秀麗な美貌に、町を行く女達が熱い視線を送る。
だが、彼はそれには一切気づかず通り過ぎていく。



・・・店の軒先に明りが灯りはじめる時刻。
まだ人通りの多い町中で、彼は足を止めた。
夜空の色の目に酒場の軒先の看板が映る。

『本日、腕相撲大会開催。 優勝者には賞金あり』

・・・男はその場で少し考え、程なくして顔を上げると、隙間から光が漏れる店の扉を押し開けた。



────実は、彼には訪れていた変化はもう一つあった。
だが、ミロがそれに気づくのはまだ先のことである。

copyright (C) 2009 * 水 中 花 * All Rights reserved.
無料レンタル掲示板,チャット