Souls Flow

三章 塔ノ姫君 10

西の地平より天頂にかけて、空は、緋色から藍へと変化する。
昼間は頼りなく漂っていた二つの月が夕闇を照らしだす。

────すっかり日が暮れたサンティの町。
アンリは来た道を戻って宿へ帰る途中だった。
さすがにこの時間になると、裏通りに人は少ない。 しかし、アンリの軽快な足取りに迷いは無かった。
市場まで目印を覚えながら来たから、今度はそれを逆に辿れば良い。
宿の主人に聞いた話では、この辺なら夜道を一人で歩いていても問題は無いという。
目印を見逃さないよう注意を払いながら、今晩の夕食を何にしようか考えていたアンリは、ふと足を止めた。

────皮膚を掠める、電流のような微かな違和感。
アンリは無意識の内に剣に手をかけた。
不意に肌が総毛立つ。
その原因を探して顔を上げた。

「お前、なかなかの魔力を持っているわねえ」

唐突に、若い女の声が降ってきた。
笑いを含んだその声音は、ぞっとするほど冷たい。
アンリは視線を上に走らせる。
まず目に飛びこんだのは、半分に欠けた月。
そして、その半円を背に屋根の上から路地を見下ろす、黒衣の影。

影の表情は、目深に被ったフードに遮られ窺い知ることはできない。
だが、その腕に抱える何かが月光に白く浮かび上がった。 それは人形かと思われたが────。

(────違う)

影が発する強烈な魔力の存在感とは別に、もう一つ魔力の気配がある。
あれは、ドレスを纏った人間の少女だ。

神経を研ぎ澄ませて影と対峙するアンリは、目を眇めた。
間違いなく、相手は魔導師だ。 それも、強力な。
相手の様子を窺いながら、握り締めた柄から剣に魔力を流しこむ。

「お前も連れていこうかしら」

黒衣の女はすっと空いている片手を上げた。
白い掌に光球が灯される。
その手が水平に振られると同時に、光球は三本の光の矢に変じてアンリに襲いかかった。

「・・・っ!!」

息を止める。
次の瞬間、アンリは剣を素早く抜きはなった。
魔力を帯びた鋼から風の魔法で不可視の刃を放ち、矢の勢いを相殺して叩き落す。

「魔法剣士・・・? 珍しいわ、ローシェンブルグにはいないと思ってたのに」

攻撃を防がれた女は、けれど嬉々とした声を上げた。

「私と少しお遊戯しましょう」

女はぐったりとしている少女をゆっくり足元に寝かせた。
おもむろに立ち上がると、黒衣から伸びる白い両手をかざす。
急速に、女の手前の空間が変化した。 夜よりも更に黒い闇が出現する。

・・・・・・シューッ、シューッ

小さな穴から空気が出入りするような音がアンリの鼓膜を震わせる。
女が作り出した闇から、濃い灰色の、紐に似た何かが次々と出現した。
その正体に気づいて、アンリは整った顔を強烈に引き攣らせた。
空中で身をくねらせる細長い生き物は────無数の蛇だ。

(・・・うげーーーー、すんごい悪趣味!)

内心呻いたアンリに向かって、女が腕を振り下ろす。
一斉に飛びかかる蛇の群れに、アンリは背を向けた。
左右の通路へ走るのではなく、真後ろの壁に駆け寄る。
その灰白の壁を蹴って、アンリは上方に跳躍した。
同時に、空いた左手に集めた魔力を足元に向かって解放する。

「いっけえええええ!!」

凝縮した風圧で、女のいる屋根めがけて細身の体が浮き上がる。
その足元を目標を見失った蛇の群れが掠める。
空中で一回転したアンリは女の真上から剣の柄を振り下ろした。
それが影を捉える寸前、女はふっと消えた。

(転送の魔法か!)

ガッ

舌打ちしたアンリの手元の柄が屋根の瓦を削った。
瞬時に離れた場所に移動した女が次の魔法を放つ気配がする。
その前に。
アンリは倒れている少女を素早く抱え上げて屋根の上を走った。
そして反対側の路地に飛び降りる。

「!?」

黒衣の女は攻撃の魔法を中断して、それを追う。
屋根から身を乗り出して見回したが、二人の影は既にそこには無い。
すっと神経を集中し、彼らの気配を探る。

「・・・くそっ! 遊びが過ぎたわ」

相手の狙いは、最初からドレスを着た少女だったのだ。
女は苛立たしげに歯をきつく噛んだ。
彼らの気配は、幾つか道を隔てた大通りの雑踏にあっという間に紛れこんでしまう。
この町の者ではなさそうに見えたが、思いのほか地の利を心得ていたらしい。
こうなっては諦めるしかない。 自分の姿を衆目に晒してまで彼らを追うわけにはいかなかった。
女は悔しげに唇を歪める。

「次会ったら嬲り殺しよ」

物騒な言葉を吐き捨て、黒衣の影は屋根からふっと姿を消した。



雑踏に紛れこんだアンリは、自分のマントに少女をくるんで、なるべく目立たぬように大通りを斜めに横切った。
大通りに対して、入ってきた方とは反対側の路地に急いで身を隠す。
そして、雑踏が見える位置から慎重に周囲を窺った。

しばらく様子を見て、アンリはようやく緊張を解く。
・・・追う者の姿はない。 黒衣の女は追跡を諦めたのだろう。
あれだけ怪しげな格好の女だ。 人ごみに紛れれば追って来ないだろう、と予想したが正解だったらしい。

(・・・何なんだよー、もう。 裏道、めちゃめちゃ危険じゃん)

大きく息を吐き出して、アンリは壁に背を預けた。
昼間、頭に地図を描きながら移動して良かった、とつくづく思う。
そのお陰で最短距離で大通りに出られた。

「・・・う・・・」

微かな声と共に、腕の中の少女が身じろぎする。 目が醒めたらしい。
四、五歳ほどに見える少女は、レースがふんだんに使われた薄い黄色のドレスを纏っている。
(お人形さんみたいな格好だなあ) と思いつつ彼女の顔を覗きこんだアンリは・・・状況を忘れて感嘆の溜息を漏らした。

「うわー・・・」

艶やかな胡桃色の長い髪に縁どられた白い顔は、非常に可愛らしい。
白磁のような肌に、薔薇色の頬。
まるで、お伽噺に出てくるお姫様みたいだ。
ぽかんと口を開けて少女を見詰めていると、その視界で髪と同色の瞳がゆっくりと見開かれた。

「・・・や」
「はいちょっと待ってねー怪しい者じゃないからねー」

我に返ったアンリは素早く少女の口を塞ぎ、寸でで彼女の悲鳴が響き渡るのを防いだ。
塞いだ指の隙間から、もごもごと彼女の呻きが漏れた、その時である。

「っと、ちょっ、何これ!」

アンリの足元で、石畳が波打つように揺れる。 アンリははっとして身じろぎする少女を見た。 その愛らしい顔が恐怖で引き攣っている。
────少女が内包する魔力が、感情に影響されて不安定になっているのだ。

「ね、頼むから落ち着いて。 僕は君を助けたんだよ。
 黒い服の女に攫われたの、覚えてる?」

宥めるようなアンリの言葉に、少女は暴れるのを止めて瞬きした。
口を塞がれたままこくこくと頷く。

「今から君を、町の衛兵さんにちゃんと引き渡すから。 そしたら家に帰れるよ」

少女の目から恐怖の色が薄れる。 同時に、二人の周囲の揺れも止んだ。

「はあー・・・のわっ!! ・・・あっぶねー」

頭上に崩れ落ちてきた壁の破片を、アンリは紙一重でかわす。
きょろきょろと周囲を見回して自分の安全を確認した後、「騒がないでね」 と念を押し、少女の口から手を離した。

「えーと・・・君、名前は何ていうの?」
「・・・・・・わたくし、シェリーナともうします」
「・・・げっ。 もしかして・・・」

アンリの顔が軽く引き攣る。

「・・・あなたは、ローシェンブルグの第一公女、シェリーナ姫?」
「そうです」

・・・とんでもないことに巻き込まれたかもしれない。
アンリは頭を抱えたくなった。



────アンリが途方に暮れていた頃。
ミロは、酒場で開催されている腕相撲大会を順調に勝ち上がっていた。
次はいよいよ決勝である。
女達の黄色い声援と男達の嫉妬の視線を一身に浴びる黒髪の青年は、淡々と対戦相手に向かい合った。
彼の前に座る中年の男は内心ニヤリと笑った。

(捻り潰してやる)

彼は自分より随分細腕だ。
この若造が勝ち上がって来たのは組合せが良かっただけのことだろう。
自分の勝利を疑わぬ中年の男は、丸太のような腕を差し出し、肘を卓に乗せる。
ミロもその褐色の腕を卓に乗せ、ごつごつとした対戦者の手を握った。

「始めっ!」

酒場の店主の合図と同時に、ぐっと力を込める。

「・・・っ!?」

柄の悪い中年の男の顔に、脂汗が浮かぶ。
どんなに押しても、びくともしない。
反対に、相手の綺麗な顔にはあせり一つ浮かんでいない。

「・・・行くぞ」

低い声が、動揺する男の耳を打つ。
パタン、と。
呆気なく男の腕が倒された。
シーン、となった直後、店中を歓声が包む。
だが、優勝した若い男は卓に突っ伏す対戦相手や周囲の大騒ぎに目もくれず、すっと席を立った。
そして真っ直ぐ店主に歩み寄る。

無言で差し出されたその手に、恐る恐る賞金の入った袋が乗せられた。
全員が見守る中、彼は無表情で踵を返し、店を出てゆく。

・・・後から店主が語ったところによると、賞金の額は全然大したことなかったのに、彼の鋭い両目から物凄い殺気が放たれていた、らしい。 そして、その店で腕相撲大会が行われることは二度と無かった。

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