Souls Flow

三章 塔ノ姫君 11

夜の闇が天空を覆い尽くし、地上には星の瞬きのような家々の明かりが輝いている。
公都の大通りはまだかなりの人通りがあった。
仕事帰りの人間を相手に、屋台の主たちは威勢のいい呼びこみを街角から響かせていた。
道行く人々はその声に足を止め、酒を一杯引っかけたり、小腹を満たすつまみを買って歩きながら食べたりしている。

けれどもアンリは今、足を止めることはおろか彼らを羨む余裕すらない。
夜の町の雑踏を幼い公女の手を引いて、アンリは目立たぬように前へ前へと進む。
少女には自分のマントを被せ、彼女の正体を悟られないよう神経を尖らせる。
人通りの多い道を選んで歩いてきたが、途中で、公女を探していると思しき二人組の衛兵と幾度もすれ違った。
その度に二人は物陰に隠れてやり過ごす。
三度目、通り過ぎていく衛兵の様子を窺っていたアンリの裾を小さな手がちょんと引っ張った。
振り向いた翡翠色の瞳に、不安そうな幼い顔が映る。

「どうしました、シェリーナ姫」
「・・・あの者たちは、わたしをさがしているのではないですか?」
「いやー、そうかもしれませんけど、彼らの顔を見てくださいよ、姫。
 すっごい怖い顔してるでしょ? 僕があなたを助けたと言っても絶対信じてもらえないです。
 それにあの人数じゃあなたを攫った女魔導師に歯が立たない、と思いますよ」

 自惚れているわけではないが、恐らく魔法で対抗できる自分の方がましだろう。
 そう言って、アンリは幼い公女を促す。

「でも、もう少しで目的地に着きますから。申し訳無いですが、辛抱して歩いてくださいね」
「はい」

シェリーナ公女は素直に頷いた。
歩幅の小さい彼女を気遣いながらアンリが目指すのは、広場に面した衛兵の詰所であった。



灰白の石が敷きつめられた広場は、この町の中心の一つであった。
幸い、ここまでは衛兵の目をやり過ごすことができた。
アンリは公女と共に路地に身を隠しながら、注意深く広場を見渡した。
中央に建てられた噴水の表面には、この公国の代表的な意匠である唐草模様が繊細なモザイクで施されている。
広場の周辺には幾つか屋台が軒を連ね、それなりの人出があった。

(・・・あれだ)

きょろきょろと周囲を見回していたアンリは、広場の一角に目を留めた。
入口に大きな篝火が焚かれた石造りの官舎にそっと歩み寄る。
広場に向かって大きな鉄製の門は開かれ、武器を携行している衛兵たちが慌しく出入りしている。
物々しい空気を感じ取った広場の人々は、何があったのだろうと噂しながらも彼らを遠巻きに眺めている様子であった。

(・・・やっぱり、通りがかっただけなんて信じてもらえないかも)

殺気立った彼らの表情を見ながら、アンリは思う。
どちらにしても、衛兵たちによる彼女の保護を見届ければ自分の役目は終わる。そのあと彼女は厳重な警護付きで城に戻されるだろう。 それならば、

(面倒くさいのやだしー・・・)

目と鼻の先にある詰所に、公女一人で行ってもらえばいい。うん、無問題。
一人頷き、アンリは傍らの少女と同じ高さの目線になるよう地面に膝を着く。

「よーーーーく聞いてください、シェリーナ姫。 あの、火が焚かれてる大きな門見えますよね?」
「はい」

指差しながらアンリが問うと、少女は首を縦に振った。

「あそこまで一人で歩いて行けますか?」
「・・・いっしょに、いってはくれないのですか?」

少女の胡桃色の双眸に不安の色が窺える。
アンリは彼女を勇気づけようと、にっこり笑った。

「大丈夫、あなたが辿り着くまで、ここからしっかり見ていますから。
 万が一、何かあっても僕がきちんとあなたを守ります」
「・・・わかりました」

少女は顔を俯けて小さく頷いた。心なしか、その小さな耳が赤い。
(何かが変・・・?) と、微かな違和感がアンリの胸をよぎる。
しかしそれは一瞬で緊張に取って代わった。
一人で歩く彼女に危害が及ばないよう、最大限に注意を払わねばならない。

「ゆっくり、歩いていってくださいね」
「・・・はい」

少女に被せたマントを取り去ると、夜目にも鮮やかな胡桃色の髪が現れる。
名残惜しそうに、少女はアンリをちらりと見上げた。
しかし、背筋をしっかりと伸ばして官舎に向かって歩き出す。
幼いとはいえ、その堂々とした様子はさすが公女だと思わせる品格が漂っていた。

黄色のドレスを纏った小さな背が遠ざかってゆく。
建物の手前で、彼女を見つけた衛兵数名が慌てて駆け寄る様子がアンリの目に映った。

「姫が見つかったぞー!」

ざわめきに紛れて、衛兵の声が届く。

(やれやれ・・・ミロが帰ってたら、急いで離れた場所に宿替えしなきゃ)

誘拐犯の目撃者として、衛兵が宿に自分を探しに来る可能性がある。
アンリは素早く身を翻し、広場に背を向けて足早に歩き出した。

(・・・それにしてもあの魔導師は何者なんだろう)

宿への道を辿るアンリの意識は、自然とあの女魔導師へと移っていった。
彼女は、「お前 『も』 連れて行く」 と言っていた。
だから、女は腕に抱く少女をどこからか攫って来たのだろうとアタリをつけた。それが、この国の後継者である公女だとは思いもしなかったけれど。

(一体、何のために─────)

以前、育ての親であるジオットが言っていた。
転送の魔法が使える者はごく限られている、と。
魔力の大きさの他、水火風土の四属性とはまた別の属性軸によって適性が決定するらしい。
更に、空間を捻じ曲げて思いのままに物体を取り出す魔法を行使したと言われているのは歴史上、たったの数人。
────そこまで考えて、アンリはぶるっと身震いする。
冷たくなった夜の風が、金糸のような髪をふわりと撫でていく。

石畳の道の上を、二つの月の光が滑るように反射する。
ふわりと裾を翻した青いマントの背中は、広場から伸びる大通りの雑踏に、瞬く間に紛れこんでいった。



宿の廊下を進むアンリは、自分の部屋に戻らずに真っ先に隣の部屋の扉を叩いた。
内側から重々しい足音が聞こえて、開かれたそれの向こうに長身の男が姿を現す。

「ただいま!」
「今、俺も戻ったところだ」

耳に心地よい低い声に安堵を覚えて、アンリは翡翠色の瞳を細くした。

「職業登録、できた?」
「無事に。 それと、この石のお陰で宿にも迷わずに戻れた。 礼を言う」
「それは、良かった」

迷子にならないための石が役に立ったと知って、アンリの唇が綻ぶ。 その目の前に、唐突に小さな皮袋が差し出された。

「・・・これは、今の内に渡しておく」

受け取った袋の口を緩めてアンリが中を覗きこむと数枚の銀貨が入っている。
長身の男を見上げると、無表情の黒い瞳と視線が合った。

「どしたの、これ」
「酒場の腕相撲大会で優勝した。 まだ足りないが、取っておいてくれ」
「へーー、優勝!? すっごいね!」
「それと、これも」

はしゃいでいる幼い連れに目を細めて、ミロはもう一つ別の紙袋を小さな手に乗せた。
じんわりと温かい袋の中から、香ばしい匂いが漂う。
その中身は、まだほかほかと湯気を立てる鶏の串焼きだった。

「さっき屋台で買ってきた」
「・・・食べていいの!?」
「もちろんだ」
「ありがとー! 実はすっごくお腹すいてて・・・」

アンリは言いながら、一本を素早くたいらげる。
その幸せそうな顔に、ミロは鋭い目元をほんの僅かに緩めた。
「もう一本食べていい?」 とミロに許可を得て、二本目に手を出そうとしたアンリは、そこでようやく連れに言うべきことを思い出した。

「あああああ! のんびりしてる場合じゃなかった!
 急ですっごく悪いんだけど、宿を替えるから準備してもらっていい? 事情は道々話すから」
「・・・? 分かった」
「じゃあ、僕も部屋に戻るから。 荷物纏めたら声かけるよ」

疑う様子もなく淡々と頷いたミロに手を振って、アンリは踵を返す。
だが次の瞬間、肩をぐいっと引き寄せられ、代わりに扉とアンリの間にミロが立ちはだかった。

「ミロ!?」
「誰か、来る」

低い呟きと同時に男は立てかけてあった剣の柄を握る。
その時、階段を駆け上がってくる複数の足音が廊下に響いた。
近づいてきた足音は、アンリが借りた部屋と二人がいるミロの部屋の前で止まり、二つの木製の扉が乱暴に叩かれる。

「・・・・・・中に居る者、扉を開けろ」

くぐもった低い男の声が二人の耳を打った。
連れに剣を仕舞うよう目で合図して、アンリは小声で囁く。

「・・・遅かったか・・・。ごめん、ミロ。 今度こそ本当にお別れかも」
「・・・・・・」
「はいはい、今、開けまーす!」

ドアの外に呑気さを装った声で叫ぶと、アンリはゆっくりと扉に手をかけた。
その向こうには、深い緑の制服を着て、腰に帯剣した屈強な衛兵が数人アンリを見下ろしている。

「・・・どーもです」
「シェリーナ公女を助けたのは、お前か」
「はい」
「そっちの男は?」

無関係だ、と言おうとしたアンリを遮って、狭い室内に低い声が響く。

「保護者だ」
「・・・ちょ、ミロ!! 全然違うじゃん!」

むしろ保護者は自分じゃないかとか、この場では関係無いことまで言いそうになりアンリは慌てて口を引き結ぶ。

「なら、一緒に来い」

若干咎めるような視線を送るアンリと、それを受け止めて平然としている男は、制服の男達に囲まれて階下へと降りた。



思ったよりも丁寧に馬車に乗せられた二人は、乗り合わせた男達とともに行き先を知らされぬまま目的地へと運ばれていた。
ガタゴトと揺れる馬車が一際大きな篝火が焚かれた巨大なアーチをくぐる。
小さな窓からちらりと見えたそれに、アンリは呟く。

「もしかして、城・・・?」

衛兵の詰所に連行されると思っていたアンリは、やや動揺した。
いざとなればミロは逃げてもらおうと思っていたのだが、城だと突破するのが格段に難しくなる。
今、逃げてもらおうかと逡巡するアンリに、沈黙していた男の一人が口を開いた。

「今から、お前達は女公閣下と謁見する」
「え・・・」
「女公閣下自ら、話がしたいとの仰せだ」

(・・・えーーーーー!?)

要人の護衛責任者、もしくは公都の警備担当者と話をするか、または牢獄直行かと考えていたアンリにとって、さすがにそれは予想外であった。

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