Souls Flow

三章 塔ノ姫君 12

果てしなく長い廊下を歩いた次は、延々と階段を昇り、更に廊下を進む。
二人を先導する兵が足を止めた頃、アンリは今日一日の疲れも重なって疲労困憊していた。

「ここで暫く待て」

簡素な扉を示した男に、アンリは 「・・・ご案内、どーも」 と力なく愛想笑いを浮かべた。
無愛想な兵は黙って踵を帰し、彼に輪をかけて無愛想なミロは表情筋一つ動かさず扉をくぐる。
二人は、通された小さな部屋を見渡した。
最低限の調度が設えられた小部屋は、身分の高くない者が女公の謁見を待つ場所なのだろう。
謁見の間に続く重厚な扉の前には、屈強な兵士が二人立っている。
アンリとミロは、黙したまま部屋の隅の椅子に腰かけた。
馬車に乗せられた時に武器を取り上げられたため、何となく落ち着かない。
旅を始めて以来肌身離さず剣を持っていた。 それがいつの間にか当たり前になっていたらしい。
小さく息を吐いたアンリは、そういえば連れに何も事情を話していないことを思い出した。

「・・・・・・取りあえず、ごめんミロ」
「謝らなくていいが、何でこうなったか教えてくれ」

相変わらず無表情な低い声に、アンリは自分の保護者だと衛兵に嘯いた男を見上げた。
彼はそんなに自分に金を返したいのだろうか。
それとも、大きな犬に懐かれたようなものか。
どちらにせよ、アンリの心境は少々複雑であった。 彼が側にいてくれることは嬉しいし心強いが、何より申し訳なさが先に立つ。

「その・・・裏道歩いてたら、怪しい女魔導師に絡まれたんだよね。 その人、明らかに攫ってきたっぽい女の子連れてて。 で、彼女を助けたらそれが何と公女様だったってわけ」

ミロはアンリの話に驚くでもなく、黙って頷く。

「・・・事情を聞かれて、魔法を使えるのがバレたら厄介だなーと思ったから、公女様だけ衛兵の詰所に行かせて僕はそれを見届けて宿に戻ったの。 そんで早いとこ宿替えーと思ったら」
「串焼きに気を取られて、忘れてたと」

「う・・・忘れてはなかったよ・・・?」 とアンリは目を泳がせて否定する。

「・・・ただ、予想より早く見つかっちゃったんですごめんなさい」
「・・・・・・」

再び頭を下げたアンリに、ミロは軽く眉を上げた。

「勝手に付いてきたのは俺だ。 気にしなくていい」
「気にするよ。 ていうか、拷問とか受けそうになったらミロだけでも逃げてよね。
 ミロなら突破できるだろうしさー」

警護の兵に聞かれないように、ぼそぼそと小声で話しながら、アンリはふと不安になった。
この広すぎる城で包囲を突破したとしても、彼は城の内側で半年くらい迷っていそうだ。
十分あり得る想像を、アンリはわざわざ口に出さなかった。
黙りこんだアンリに、ミロは低く呟く。

「俺はお前を見捨てたりしない」

平静な声は、何も恐れていないかのように淡々と響く。
翡翠色の瞳が瞬いた。 次いで、アンリの花弁のような唇は自然と綻ぶ。

「・・・うん。 逃げるなら、一緒に逃げよっか」

彼がそう言ってくれるなら、どんな状況に陥っても何とかなるような気がする。 気持ちが少しだけ、和らぐ。

────その時、広間に繋がる扉が小さく開いた。
顔を出した若い文官に重々しく頷いて、兵士はアンリとミロに 「入れ」 と重々しく告げる。
さっと立ち上がった二人は、やがて大きく開かれた厚い扉へと歩み寄った。



カツン、と自分の靴音がやけに響いた。
シンと静まり返っただだっぴろい広間の向こうに、先程見た文官と数人の兵を従えた女が玉座に座っている。
後ろの彼らと、壁際に佇む兵士たちは、身じろぎ一つせず、まるで彫像のようだ。
柱に灯された魔具の柔らかい光が、磨かれた大理石の表面をキラキラと滑り落ちた。
中央に座すのは、ローシェンブルグの頂点に立つ女公。
明りに浮かび上がる顔は白く美しい。 そして人を圧する威厳に満ち溢れている。

「初めまして、イディア女公閣下」

緊張しつつ、アンリは彼女の手前で膝を折った。
正式な作法は知らない。 だから、精一杯の丁寧さでもって頭を下げる。
背後で、ミロが自分に倣った気配がした。

「顔を上げなさい」

低めの、落ち着いた声が静かな広間に響く。

「そこの二人、名は何と?」
「アンリと申します」
「ミロ、です」
「そう。 アンリ、ミロ。 ようこそ、サンティの城へ」

嫣然と微笑んだイディアは、背後に控える兵に目配せした。
彼は一旦彼女の傍を離れると、柱の向こうの扉に消える。
すぐに戻って来た男の後ろに小さな影を認めて、アンリは目を瞠った。

「シェリーナ、この者で相違ありませんか」
「はい、お母さま。 わたしを助けてくださったのは、この方です」

背筋を伸ばして母の問いに答えた少女は、先程別れたシェリーナ姫であった。
一瞬、彼女の胡桃色の双眸とアンリの翡翠色の双眸が交錯し、困った様子で小さく微笑んだ少女にアンリは目礼を返した。

「では、改めて礼を言いましょう、アンリ。 娘を助けていただいて感謝しています」
「恐れいります」

頭を垂れたアンリに、女公の言葉が波紋のように投げかけられる。

「ですが、不明な点がいくつかあります。 まずは、衛兵に事情を説明せずに立ち去った理由を聞かせて貰いましょうか」

来た、と思った。
顔を上げると、鋭敏な光を湛えた女の双眸がアンリを射抜く。

「シェリーナ様をお助けするにあたって魔法を使ったからです、閣下」

相手を真っ直ぐ見返して、アンリは言葉を継いだ。 動揺する素振りを見せたら相手の疑念を煽るだけだ、と自分に言い聞かせて。

「恐れながら申し上げます。 このサンティでは魔法に通じた者を歓迎しない空気があります。
 そのため、魔法を使えることを知られれば自分が疑われると考えたのです。 逃げたと言われれば、そうかもしれません。 無責任なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「・・・・・・立ち去った理由はそれだけですか?」
「はい」
「犯人とは完全に無関係だと?」
「何の関係もありません。 僕は、たまたま通りかかっただけです」

言い切ったアンリに対し、イディアは娘と良く似た胡桃色の瞳を眇めた。

「確かに、この国には魔導師を忌避する風潮が根強くあります。
 しかしその説明だけで、娘が犯人だと言う女魔導師とあなた方が関係がないと信じるにはいささか証拠が足りません。 女魔導師はいまだ捕まっておりませんし」

女公は一旦言葉を切った。
ほんの少し考えて、二人の処遇を決す。

「あなた方を暫く城で監視します。ですが無関係だと分かり次第、軟禁を解き公家の恩人として遇しましょう。 怪しい動きをしなければ手荒な真似はしません。 よろしいですね?」
「・・・女公閣下のお言葉に従います」
「・・・・・・」

・・・アンリは目の前の高貴な女性に頭を下げた。 ミロも無言でそれに続く。
少なくとも今の所は牢に繋がれる心配はないらしい。
安堵するアンリに、女公は不意に質問を投げかけた。

「ところで、あなたは魔法をどの程度使えますか?」
「・・・どの程度、ですか・・・? ええと、風属性の魔法が多少、です」
「風? 西方の出身ですか?」
「僕はローシェンブルグの育ちですが、おそらく親が西方の人間です。 ・・・僕は孤児です。両親のことは覚えていませんが、そうだと思います」
「なるほど・・・では、あなたにお願いがあります」

アンリは内心首を傾げつつも、「僕でできることなら」 と答えた。 部下が大勢いる彼女が、自分に何を頼むことがあるのだろう、と訝しんだが、次の言葉を聞いて目を瞠る。

「ここにいる間、シェリーナに簡単な魔力制御の方法を指導してほしいのです。 もちろん、我々の監視下になりますが。 できますか?」
「・・・できますけど」

整った顔に困惑を浮かべたアンリに、女は説明を加える。

「先代の大公が魔導師を全て解雇したので、この城には魔導師がいません。 シェリーナに魔法を教えられる者がいないのです」
「・・・分かりました。 お引き受けします」
「頼みましたよ」

低めの女の声を受けるアンリは、少女が嬉しそうに顔を輝かせたことに気づかない。

「必要なものは監視の兵に申しつけてください。 では」

地の国ローシェンブルグを統べる美しい女は、優雅な動作で立ち上がると、兵士と娘を引き連れて広間を退出した。
跪いたまま、二人は彼らに再度頭を下げた。
女公がいなくなった広間は、時間が動き出したかのようだった。 彫像の如き兵士たちが固い足音を立てながら各々の次の持ち場へと散っていく。

「・・・取りあえず、今は身の危険はなさそうだね」
「そうだな」

二人は立ち上がり、小声で囁き合った。
そして、近づいて来る兵士に無言で向き直ったのだった。



* * *



その腕に公都を抱いて聳える巨大な城の夜は、静かに更けてゆく。
アンリの長い一日が、ようやく終わりを迎えようとしていた。

「・・・わけわかんない」

一人になってから、小声で呟く。
寝台と幾つかの家具が配されたそこそこの広さの居室は、中級程度の地方の貴族や官僚が城に訪れた際に泊る部屋らしい。
扉の外側に、微かに人の気配を感じる。 見張りの兵がいるのだろう。
ミロとは途中で別々の方向に引き離されたが、おそらく彼も同じように軟禁されているはずだ。
運ばれた食事に手をつけながら、アンリは自分の置かれた状況に考えを巡らせていた。

ローシェンブルグ公家の嫡子であるシェリーナ姫はおそらく地属性の魔力のはずだが、風の魔法を操るアンリでも魔力を制御するやり方を教えることくらいはできる。
けれども───

(自分で言うのも何だけど、素性の知れない僕を姫に近づけるなんて・・・よっぽど人不足?)

ちぎったパンを口に運びながら首を傾げる。
英邁で知られるローシェンブルグの女公閣下にしては、無用心過ぎる。
自分が知らない所で何かの思惑に乗せられているような、そんな予感。
・・・かと言ってここを逃げ出せば、女魔導師の仲間と見なされてお尋ね者決定。

結論。 様子を見るしかない。

「・・・・・・様子見とか、全然趣味じゃないんだけどなあ。 ・・・ああああもーう!」

唸りながらも、アンリは次々と目の前の料理を平らげていく。
悩んでも仕方ない。 開き直りの境地に達したアンリは、ふとポケットにしまった石を思い出した。
ごそごそとポケットを探ってそれを取り出し、机に置く。
昼間市場で買ってミロに渡した、迷子防止の石の片割れ。
ミロは、宿から連行される際、衛兵に見咎められないように素早くその石をアンリに渡したのだ。
お互いが離れ離れになる状況を、彼は予想していたのかもしれない。
もう片方は、今も彼の手首に巻かれているはずだった。

「・・・ミロ、ちゃんとご飯食べてるかなー」

片割れがある方向を示して、石は猫目石のように鈍く光っている。 彼は思ったよりも近くにいるらしい。
アンリは、無表情な夜色の瞳を思い出す。
彼は何故あんなにも肝が据わっているのだろう。 彼の図太さが羨ましい。
また一つ皿を空にしながらそう思うアンリは、自分も相当図太いということに気づいていなかった。

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