Souls Flow

三章 塔ノ姫君 13

唐草を象った窓の飾り枠が朝の光で影を落とし、石の床に緩やかな文様を描く薄暗い室内で、寝台の上の塊がもぞもぞと動く。
良い香りがする寝具に包まれ、極上の眠りを貪っていたアンリは、窓から入りこむ明るさに目を覚ました。 寝ぼけ眼を擦り、細い体を起こす。
温かい布団から這い出して、「うーん」 と唸りながら猫のように丸めた背中を伸ばすと、思い切り欠伸をする。
しばらく心地良い眠りの余韻に浸っていたアンリはけれど、ふと昨晩のことを思い出し、整った眉を顰めた。

・・・昨日の夜、寝る直前になって、アンリは城の警護責任者に呼び出されたのだった。
シェリーナ姫誘拐事件に関して詳細な話を聞きたいと言ってきたその責任者の態度に、アンリは閉口した。  いかめしい面構えの壮年の男は、執務室に入ってきたアンリをいかにも胡散臭そうにねめつけ、居丈高に 「お前の見たままを全て話せ」 と告げたのだった。
その顔には、あからさまな侮蔑と猜疑の色が見て取れた。 身分が低い者に対して常にそういった態度なのか、アンリが魔法を使うことに対してなのかは分からない。 或いは両方かもしれなかった。
そして、一通り話をした後は堂々巡りの対話が待っていた。

「目撃者はお前だけだ。 本当に、黒衣の女魔導師の仕業なのか?」
「・・・お話した通りです。 シェリーナ姫も、その女が連れ去ったと、そう言ってるんでしょう?」
「幼い姫の記憶など当てにならない。 それにお前は魔法が使えるのだろう」
「・・・・・・記憶をいじる魔法なんて、僕は使えないですよ?」
「証明できるのか」
「記憶をいじる魔法は余程の魔導師でないとできません。 僕程度じゃ無理です。
 それに、そんな魔法が使えたら僕はこんな所にいないと思いますけど。
 姫が僕を思い出さないように、自分に関する記憶を消すでしょう」

溜息を堪えてアンリは反論する。

「公家に取り入るための策かもしれないだろう」
「・・・・・・別に、お金も何もいらないですし、権力なんかもっと興味ないです」

このしつこさはある意味賞賛されるべきかもしれない。男は、ある意味職務に非常に忠実なのだろう。
彼の取調べは、アンリの生い立ちにまで及んだ。 孤児だと言うと、彼の疑いの目はますます濃くなって、アンリをうんざりさせた。
取調べ開始から二刻近く。 ようやく解放され、アンリが床に着いたのは深夜過ぎであった。



はっきりしない頭を軽く振って、アンリは翡翠色の瞳を壁の時計に向ける。

「・・・んーなんじだ・・・。 しちじ・・・」

遅い時刻に寝たにしては、思ったよりも早く起きられたようだ。
シェリーナ姫に会いに行く時間まで、少々余裕ががある。

「おふろ、かりれるかなー・・・」

見張りの兵士によれば、客人用の浴室が別の棟にあるという。
個室仕様らしいから、アンリが利用しても問題ないだろう。

立ち上がったアンリは、部屋の角に置かれた、官服が収められている棚の戸を開いた。
ここに置かれている物は自由に使っていいと言われている。
アンリは小さめの服を幾つか広げて、一番細身の濃い茶色の官服を手に取った。
それから廊下に続く扉を開け、外の兵士に、「すみません、お風呂まで連れてってください」 と極上の笑顔で告げたのだった。



周囲に視線を巡らせながら、アンリは先を行く二人の兵士の後に続く。
長い廊下では、城勤めの文官や兵とひっきりなしにすれ違った。
静寂漂う夜と打って変わって、朝の城内は活気に満ち溢れ、行き交う人々でさざめいていた。

(やっぱり、広いなぁ)

この城は本当に広い。 縦にも、横にも。
そして、改めて見ると、興味深い光景に幾つも出会う。
廊下の壁や天井に所々覗く荒々しい岩盤は、巨大な岩山を削って城が造営された当時の名残だろう。
そこを更に進み、棟と棟に渡された回廊の眩暈を覚える高みから遥か下を一望して、アンリは息を飲んだ。 眼下には、小箱のような建物がずらりと敷き詰められたサンティの町並みが広がっていた。

そんな美しい風景を横目に、男装の少女は人知れず息をついた。
物珍しさに自然と気持ちが浮き立つけれど、自身の置かれたこの状況は心細くもある。

(ミロ、どうしてるかなー。 また道に迷ってたりしてないよね)

方向音痴な連れを思い浮かべたその時、唐突に後方から低い男の声が向けられた。

「・・・シェリーナ姫を救ったというのは、お前か」

振り返った兵士達が、慌てて礼を取る。
彼らの態度に気づいたアンリも素早く向き直り、深めに頭を下げた。

「顔を上げなさい」

促されるままに顔を上げる。
そこには、裾の長い衣を纏った三十二、三歳程の痩身の男が立っていた。
こけた頬骨と尖った鉤鼻、鋭い目が、どことなく猛禽類を連想させる。

「・・・どうなのだ」

再度アンリに問うた低い声は、他人に命令することに慣れた者のものだ。
自分を見下ろす鋭い視線に気圧されつつ、アンリは問いに頷いた。

「・・・はい、僕です」
「そうか。 執務の長である私からも礼を言っておこう」
「えと、恐縮です」

丁寧に頭を下げたアンリを一瞥し、男は衣の裾を翻して去って行く。
それを見て緊張を解いた兵士に、面を上げたアンリは尋ねた。

「・・・・・・今の人、誰ですか?」
「執務長官のルシウス様だよ。 城仕えで一番お偉い方だ」
「一番? にしては、すっごく若いですねー」
「去年、あの方のお父上が引退なさって地位を引き継がれたのだ。
 あの年齢で女公閣下の補佐を難なくこなしておられる、優秀なお方さ」
「へえ・・・」

兵士の答えに、アンリは目を瞠る。
廊下の奥を振り返ると、ルシウスの後ろ姿はもうなかった。

「おい、行くぞ」
「あ・・・はい。 すみません」

前を行く二人の兵士に促され、アンリは慌ててその後ろを追いかけた。



「あの扉の奥に個別の風呂がある。 鍵が空いていれば好きなところを使っていい。
 俺たちはここで待ってるから、早く行ってこい」

兵士の声が、広間の壁に当たって反響する。 浴室の入口前には、共有の大きな空間が取られていた。
廊下より幾分湿度が高いそこには簡素な長椅子が数個置かれ、向こうの壁にずらりと扉が並ぶ。
シンとした室内に、彼ら以外の気配はない。
この城では、朝から風呂に入る者などほとんどいないのだろう。 アンリはほっとした。 揉め事はできる限り避けたい。 ここを利用する時は朝にしようと心に決める。

「すみません、じゃ、行ってきますね」

彼らに向かってにっこり笑い、アンリは中央付近の扉の一つに入った。
念のため、内側の鍵をしっかりかける。
服を脱いで、備品の籠に入れると、アンリは白い陶磁の浴槽にそうっと足を踏み入れた。 ひんやり、つるつるしたその表面が足の裏に触れる。
浴槽の横にある金属の栓を捻ると、勢い良くお湯が噴き出した。

「・・・すっごー!」

どういう仕組みでこの階層まで水を引いて沸かしているのか、アンリには見当もつかない。
ジオットと住んでいた頃は川から水を引いていたが、それは上から下に流れる水の性質を利用したやり方だった。
下から上に、とはどのような技術だろう。
・・・・・・と考えたのは、ほんの一瞬。 アンリはすぐに、温かい風呂を堪能することに夢中になった。



暫くして、扉が 「バタン」 と開けられた。

「・・・・・・いやーーーー、いいお湯でした! 連れてきてくれてありがとうございます!」

頭から湯気を立てて出てきたアンリは、上機嫌でペコリと頭を下げた。



それから軽い朝食を済ませると、アンリは再び部屋を出て城の東の外れに向かった。
広々とした会議用の部屋で姫の到着を待つ。
暫くして、物々しい足音と共に重い扉が開かれた。
隣の兵士が跪き、それに倣う。 顔を伏せていると、すっと誰かが近寄ってくる気配がした。

「アンリ、今日からよろしくおねがいします」
「・・・こちらこそ、シェリーナ姫」

警護の兵を引き連れた少女は小さく微笑した。
屈強な男達に囲まれ、ますます華奢に見える彼女の伸ばされた白い手を取って、アンリは笑い返す。

「姫、昨日の今日でお疲れではありませんか」

念のため、魔力制御の練習を始める前にアンリは少女に確認する。
誘拐という恐ろしい目に遭ったのだ。 精神的に不安定になるだろうし、無理をさせたくはない。
しかし、返ってきた声は予想以上にしっかりとしたものだった。

「だいじょうぶです。 アンリこそ、つかれていませんか?」
「お気遣い、ありがとうございます。 僕は平気ですよ」
「では、さっそくはじめましょう?」
「分かりました、では」

恭しく頷いて、アンリはそっと幼い少女の正面に立つ。
胡桃色の髪に縁どられた少女の顔に緊張が浮かぶのを見て取って、微笑する。

「シェリーナ姫、力を抜いてください。 さあ、深ーく息を吐いて、はい吸って」

深呼吸した少女の肩から余分な力が抜けたことを確認して、アンリは説明を始める。

「よろしいですか、姫。 魔力を制御しなければ魔法は思うように使えません」
「はい」
「手始めに、自分の魔力の流れを感じ取る練習をします。 では、目を閉じてください」

両手を繋いだ状態で、二人はそれぞれの瞳を閉ざした。
重なった掌から伝わる少女の魔力は、非常に強い。
賢者と呼ばれたアンリの育ての親、ジオットと同等か、或いはそれ以上かもしれない。 だが、シェリーナのそれはひどく不安定だ。

「あなたの内から、見えない力が生まれてくるでしょう。 温まった空気のような」
「・・・ええ、なんとなく、わかります」
「それが魔力です。 最初だけお手伝いしますから、その流れを整えましょう」

魔力は双神が魂に与えた力。 生命の源。
目に見えぬその波動に、アンリは自分の意識を緩やかに介入させていく。
偏っていた力の流動を整えて、滑らかにする。

(・・・よし)

シェリーナ姫の長い胡桃色の髪が、力の影響を受けてふわりと浮かび上がった。
僅かな抵抗があったが、シェリーナ姫はアンリを信頼して身を任せている。
そうして、彼女が放出する魔力を上手く循環の軌道に乗せる。

「・・・魂は心の臓の近くにある、と言われています。
 胸の辺りから魔力が体中を巡り、もう一度同じ場所に戻ってくる様子を想像してください。
 慣れれば自分のやりやすい方法でいいですが、最初はこれが一番安定しやすい方法です」
「・・・・・・はい」

頃合を見計らって、始めた時よりも慎重に少女の魔力からすうっと意識を引き戻した。
補助がなくても、少女の魔力は安定している。
アンリは翡翠色の目を開いた。
少女は固く瞳を閉ざしている。 目を閉じて集中している状態なら、自分の魔力の流れを掴めたようだ。

「その感覚を忘れないでくださいね」

アンリが言うと、美しい少女は微かに頷いた。

「では、次の段階に行きます。 ゆっくりと、目を開けてください」

少女は、胡桃色の瞳を見開いた。 彼女の魔力は揺らがない。

「手を、離しますよ」

その時、シェリーナ姫の顔が不安そうに曇る。

「・・・姫、落ち着いてください。 精神が乱れれば、魔力も乱れます」
「ええ」

赤子が始めて一人立ちをする時のように、少女の力は危なっかしい。 だが、飲み込みは決して悪くない。
アンリは、少女の手をそっと離した。
胡桃色の瞳が数回瞬きをする。

「何も考えずに、魔力の流れに気持ちを向けてください」

多少揺らいだ波動が、元の流れに戻っていく。
暫くの間、少女の様子を見守っていたアンリは、「そう、すごく上手ですよ、姫」 と微笑する。
そして、丁寧に小さな手を取った。

「では、もう一度目を閉じてください」

最初にやった時と同じように、再びアンリは少女の魔力に介入する。
そうしてコツを再確認させてから、ゆっくりと意識を引き離していった。

「はい、よろしいですよ。 目を開けてください」

パチパチと瞬きをする胡桃色の瞳に小さく笑いかけ、アンリは 「今日はこの辺にしときましょうか」 と告げた。

「今日やったことを何度か繰り返せば、特に意識しなくても魔力は安定してくると思います。
 ただし、姫の魔力はとても強いですから、心を強く保たなければいけません。 一緒に頑張りましょうね」
「はい!」
「・・・じゃあ、今日は終わりです。 お疲れ様でした、シェリーナ姫」
「ありがとう、アンリ」

花が綻ぶように笑う少女に、軽く眩暈を覚える。
可愛い。 可愛すぎる。 寧ろ自分が攫っていきたい。
そんな内心を表に出さないよう細心の注意を払い、アンリは 「どういたしまして」 と爽やかな微笑を顔に浮かべたのだった。



* * *



その頃、アンリの保護者だと名乗り出た男は、宛がわれた部屋で一人暇を持て余していた。
何もすることがない。 せっかく町の職業登録所に行って来たのに、このまま閉じ込められ続ければ無駄になりそうであった。
整った眉を僅かに顰めて、彼は腕組みして思案する。
アンリに剣を教える約束が果たせないことは、この状況では仕方ない。 だが・・・

(このままでは、金を稼ぐことが出来ない)

金が稼げなければ、アンリに借りを返せない。
借りを返すことは、今は彼の至上の命題であった。
何かやれることはないのだろうか。
暫く考えこんだ男は、おもむろに立ち上がる。 そして、すっと表に通じる扉を開けた。

「どうした?」

見張りに立っていた男が怪訝な表情で問う。

「仕事をくれ」
「は?」
「俺は金を稼ぐためにサンティに来た。 何か仕事をしたい」

困惑を隠せない兵士に、ミロは 「頼む、仕事を見つけてほしい」 と無表情で迫ったのだった。

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