Souls Flow

三章 塔ノ姫君 14

頑丈な扉を開けると、空気中に薄く埃が舞う。 兵士達の修練場の隣にあるその倉庫は、華美とは程遠い、堅牢そうな造りだった。
様々な種類の防具が並ぶ黴臭い倉庫に、三人の男が入って行く。 ミロと、見張り役の二人の兵士であった。
三人は、倉庫の中央で足を止めた。 兵士は、振り返って説明を始める。 褐色の肌を持つ眉目秀麗な男は、それを眉一つ動かさず聞き入っていた。

「・・・布はこれ。 で、こっちの鎧を順に磨いてくれればいい」

数時間前、『仕事をくれ』 と言い出した男に布を手渡し、鎧庫の隅に押しやった兵士二人組は、その場に胡坐を掻いて早速仕事に取り掛かる彼を見て、どちらからともなく顔を見合わせた。
一応上司に相談してこうなったわけだが、困惑した視線を交わすと、二人は小声で囁き合う。

「・・・軟禁状態とはいえ、一応客人扱いだぞ? 要望があれば聞けと言われているが・・・本当にいいんだろうか・・・」
「・・・・・・本人がいいって言うんだからいいんじゃないか?」

二人の視線が再び男に向けられた。 ────黙々となめし皮の鎧を磨く男の背中が、どことなく嬉しそうに見えるのは、気のせいだろうか。



* * *



その頃、公族が利用するという食堂で、アンリはシェリーナ姫と落ち着かない昼食を取っていた。
何でも、イディア女公が許可を出したらしい。
姫の身分に合わせて食事の中身は豪華だが、アンリは慣れない道具に四苦八苦していた。

(緊張で味がしないなんて・・・何て勿体無いことしてるんだろう・・・!)

シェリーナ姫の所作を真似るのに精一杯で、料理を味わう余裕がない。
内心激しく苦悶しながら、果てしなく長いテーブルの向こうにいる少女をちらりと見る。
少女の方は一通りの作法を叩き込まれているのだろう。 銀製のナイフやフォークを上手に使いこなし、優美な仕草で料理を口に運んでいる。

(そういえば・・・)

皿の上の肉を切りながら、見張りの兵士達から耳にした話を思い出す。 少女の父に当たる人物、つまり女公閣下の夫、公婿カルダノは、公国南方の離宮で病気療養中らしい。
母親は公務で忙しく、病気の父親は遠く離れた場所にいるとあって、少女は寂しい日々を送っているのだろうか。
そう思うと、彼女が何だか不憫に思えてくる。
せめて和やかな雰囲気になるように何か話しかけよう、と考えあぐねていた時、軽やかな声が耳に届いた。

「アンリ、今日はなにもなければ、ごごのお茶をいっしょにいかが?」
「あ、はい、姫がよろしければ・・・」

話を振ってくれたことに安堵して、アンリは少女の提案に頷きかけた。それを、側にいた警護の兵が遮った。

「シェリーナ姫、お待ちください。 それは別件でイディア閣下の許可が必要です」
「では、お母さまにおゆるしを」

少女は彼の方を向いて言う。

「閣下はお忙しい方です。 これ以上、お手を煩わせては・・・」
「アンリに、きちんと助けてくださったお礼がしたいのです。 お母さまがだめというならあきらめますが」

華奢で可憐に見える少女は、毅然とした態度で大の男に言い放った。 高慢とも取れるその態度に、男は眉を顰める。
二人の間に見えない火花が散る。 アンリは、ハラハラしながらそれを見守っていたが、口を差し挟むとややこしいことになりそうだったので口を噤んでいた。
穏やかとは言い難い沈黙が流れる。 その数瞬後、先に折れたのは兵の方であった。

「・・・分かりました」

男は渋々シェリーナ姫に一礼すると、配下を呼んで 「閣下にシェリーナ姫の意向をお伝えしろ」 と命令し、部屋を出て行かせた。
そして、彼は苦々しくアンリを一瞥した。

(まーた厄介なことにならなきゃいいけど・・・)

男の視線を受け流し、男装の少女は内心こっそりと溜息をついた。



・・・結論を言うと、午後のお茶会に女公閣下はあっさり許可を出した。 ただし警護付という条件でだ。
食べた気がしない食事を終え、アンリは今、塔の中の狭い螺旋階段をシェリーナ姫の後に続いて上る。

お茶会が開かれる少女の居室は、魔力制御の練習をした部屋の近く、城の東の外れにある古い塔の最上階。 中央から隔離されたその付近には、途中、数人の兵士と女官以外にほとんど人が見当たらなかった。
螺旋階段の扉を開けた兵は、先程姫の提案を止めようとした男であった。 扉を通過する際に黙礼したアンリに、彼は冷たい視線を寄越した。
お茶会の間、彼は警護の兵の一人として付き添うことになっている。
苦い表情を浮かべる警護の兵と、嬉しそうな少女の顔をこっそり見比べて、アンリは何とも言えない気持ちになっていた。

「わたしは、ふだんここにいるの」

部屋に入ると、姫は少し寂しそうに微笑した。
螺旋階段の突き当たりに誂えられた部屋。 広くはないけれど、その部屋は居心地良さそうに見えた。  壁は温かな色彩のタペストリーで、冷たい石の床は柔らかい敷物で覆われ、幼い姫に対する配慮が感じられる。
天蓋付の寝台は、昨晩アンリが使ったものより遥かに高級品だろう。

「素敵な部屋ですね」

口に出した印象は、偽りではない。
実際、一国の姫に相応しい贅が尽くされている。 けれど、城の中央から遠いこの塔を宛がうなど、まるで────幽閉みたいだ、とアンリは思った。
昨夜、女公が娘を見る眼差しは決して冷たくはなかったから、市場で聞いた噂は所詮噂だろうと考えたのだが。

「アンリ、こちらへ」
「ありがとうございます」

促されて、アンリは示された椅子に座った。
シェリーナ姫は、大人用の椅子の上にクッションを幾重にも重ね、テーブルの高さに合わせている。 そこにちょこんと座っている様子はとても可愛らしい。
部屋で待機していた女官が、二人の前の丸テーブル上にてきぱきとお茶を用意した。
少女に 「どうぞ」 と勧められ、丁寧に並べられた焼き菓子の皿と薫り高い紅茶に、アンリは手を伸ばす。

「お口にあいますか?」
「ええ、もちろん。 とてもおいしいです」

アンリの返答は紛れもない本音だ。
格式ばらない雰囲気に、味覚がようやく戻ってくる。
一口一口をしみじみ味わっているアンリに、少女は 「よかった」 と笑い、それから僅かに顔を俯けた。

「ねえ、アンリ。 わたしが魔力をうまくつかえるようになれば、もっとお母さまといっしょにいられるかしら」

ぽつりと呟かれた言葉に、アンリは手にしたカップをそっと置く。 カチャリ、とソーサーが小さな音を立てた。

「・・・あなたがしっかり魔力を制御する事を覚えられたら、女公閣下はきっと褒めてくださいます。 だから明日も頑張りましょうね! 一つ一つ経験をこなすことが大事だって僕の先生に当たる人も言ってましたし」
「・・・ええ、そうですね」

強張っていた少女の顔が、緩んだ。 どことなくほっとしたような笑顔に、彼女が女公にも認められるくらいにきちんと指導してあげたい、とアンリは強く思う。
いつの間にか、自分はこの幼い姫に随分と肩入れしているらしい。

「・・・ところで、あなたのまほうの先生は、どんなひと?」

お互いにほのぼのと微笑みあった所で、シェリーナ姫がアンリに聞いた。

「ジオットという、ルベンスの賢者と言われた老人です。 もう亡くなってしまったのですが」
「しんだの?」

顔を曇らせた少女に、アンリは慌てて言葉を継ぐ。

「いや、でも寂しくないですよ。 彼は自分が死ぬ時期を知ってました。
 だから、僕も随分前から心の準備をしてたんです。 ほんと、賢者ってすっごいですよね!」
「けんじゃ? けんじゃとは何ですか?」

少女の意識が別の事柄に移り、アンリはほっとした。 せっかく招かれたお茶の時間に湿っぽい話は避けたい。

「知恵がある人は、時として世間からそう呼ばれるんです。 ・・・だけど、彼の場合はあまり当てはまらないかもしれませんね」
「まあ、なぜ?」
「いい年して、彼の悪戯は本っ当にひどかったんです。 夜、白い布を風の魔法でふわふわと動かして村人を驚かせたりなんか日常茶飯事だったんですよー、もう。
 あの時は、妖魔が出た、と大騒ぎになって、次の日一緒に村に謝りに行ったんです」

げんなりした表情のアンリに、少女は軽やかな笑い声を上げた。

「おもしろい方ね」
「良く言えば、そうだと思います」

まだ笑っている少女に、アンリは苦笑を返す。
ようやく笑いを収めたシェリーナ姫は、問いを重ねた。

「あなたの先生は、けんじゃ、ね。 では、アンリは、なにをしている人?」
「僕ですか・・・? えーと・・・強いて言うなら、旅人、でしょうか。
 実は、ジオット老が亡くなった時に、『運命を探せ』 と言われたんですよね。 で、旅なんか始めてみたんですが・・・。 彼の言う 『運命』 が何なのか、まだちっとも分からないんです」

ははは、と笑ったアンリに、シェリーナ姫はほうっと溜息をついた。

「なんだか、すてき」
「いやー、そんな良いものでもないですよ? あのク・・・じいさんが言うことだから、当てにならない可能性が高いですし」
「そんなことない。 うらやましいわ、わたしはここしかしらないから」

そこまで言って、少女は半ば真面目な顔で言葉を継いだ。

「アンリは、きっとどこかの国の王子さま、なのよ」

その言葉を耳にした瞬間、アンリは危うく菓子を噴出すところだった。

「げほげほげほっ」
「だいじょうぶですかっ」

軽く喉に詰まった菓子に咳き込みながら目を上げると、彼女は心配そうにこちらを覗きこんでいる。
その時、アンリは一瞬の思いつきを実行に移すことに決めた。 ・・・実は、師匠の悪ノリする癖が弟子の中に脈々と受け継がれていることを、少女は知らない。

「・・・大丈夫です。 ありがとうございます、姫」
「・・・・・・」

キラーンと音がしそうな王子様風の微笑をアンリは整った顔に浮かべる。 幼い姫は、さっと頬を赤らめて俯いた。



* * *



それから数日は何事もなく経過した。
アンリはシェリーナ姫に魔力の制御を教え、昼食と午後のお茶を彼女と共にする。
ミロは黙々と鎧を磨く日々。

あれから一度、アンリは執務の長であるルシウスと廊下ですれ違った。
彼はその時、大勢の供を連れていたが、特に呼び止められなかったので、アンリから話しかけることもなかった。
黙礼してやり過ごしただけである。
ルシウスは一瞥もくれずに、長い裾を翻らせて足早に去って行った。
何となく彼が苦手なアンリは、話しかけられなかったことに内心安堵した。

ちなみに、あの黒衣の女魔導師の行方は依然として知れないらしい。
いつまでこの軟禁状態が続くのか、まだ先は見えなかった。



「────今日は簡単な魔法の練習をしましょう。 姫はかなり魔力の制御に慣れてきましたからね! 次の段階にいってもいいかな、と思いまして」

用意してもらった小さな素焼きの植木鉢を、アンリはシェリーナ姫の前に差し出す。

「これは・・・?」
「種も仕掛けもない、普通の植木鉢です。 この土の中に、さっき、僕が花の種を埋めました。 それで、もし姫の魔力を上手にここへ流し込むことができれば、芽が出てくると思うんです」

実際、彼女の魔力は目に見えて安定してきていた。
アンリの魔力は風属性で、属性の異なる彼女に高度な魔法を教えてあげられないが、簡単な力の使い方を示すことはできる。
ローシェンブルグ公国は、土の属性が強い土地柄だ。 そこを治める公家の一族であるシェリーナ姫の魔力も、もちろん土の属性で、大地と繋がる石や植物を操る力。 その魔法を使いこなすことができれば自信に繋がるのではないか、とアンリは考えた。
魔法をひけらかすことはこの国に漂う空気から言ってご法度だが、せめて、母親である女公、イディアが娘の進歩を認めてくれれば万々歳だ。

「何の花かは、咲かせてみてのお楽しみです! まあ、気楽にやってみましょう」

にっこり笑ったアンリに、緊張していた胡桃色の瞳が緩む。

「どうすればいいのですか?」
「この上に、手をかざしてください。 そう、そんな感じで。 次に、掌から魔力が流れ出てくる様子を思い浮かべてください」

ぎこちない動作で、少女は小さな掌を鉢の上にかざした。

「目を閉じた方がやりやすいなら、ゆっくり目を閉じて」

促されて、つぶらな胡桃色の瞳が閉じられた。
彼女の薄青色のドレスが、魔力の流れに反応してふわりと揺れる。
小さな掌から魔力の波動を感じて、アンリは微笑した。 彼女は上手く制御出来ている。
そうして暫くの間、警護の兵やアンリが息を詰めて見守る中で────ぽそ、と音を立てて土の中から柔らかな新芽が顔を出した。
小さな掌の間から、若い芽はするすると天に向かって伸びていく。
やがて枝の先に綻んだ蕾が、ポン、ポンと音を立てて開いた。

「姫、ゆっくりと力を戻してください・・・そう。 もう、目を開けていいですよ」
「・・・!」
「見てください。 綺麗ですよ、ほら」

少女は言葉を失い、ただただ目を瞠る。 自分が咲かせた花を呆然と見つめていたが、おずおずと口を開いた。

「・・・・・・すごいわ、これ、わたしが・・・?」
「そうですよ、姫。 よくここまで頑張りましたね!」

アンリが手にした鉢には、薄黄色の薔薇が見事に花開いていた。

「すてき! ありがとう、アンリ! このお花、へやにかざってもいいかしら?」
「もちろんですよ」
「うれしい、ありがとう!」

手を叩いて喜んだ少女は、跪くアンリの首にかじりついた。

「喜んでくれて、僕も嬉しいです」

アンリが姫の栗色の髪をそっと撫でると、少女はぱっと体を離した。

「・・・あ、わたし・・・はしたないことして、ごめんなさい・・・」
「気にしないでください。 この鉢は、午後のお茶の時に僕が部屋に運んであげましょう」

恥じらう少女にアンリが笑いかけた時、扉が開いて文官らしき男が入って来た。 若いその男は、アンリに向かって手招いた。

「女公閣下とルシウス様が呼んでおられる。 今すぐ、閣下の執務室に来られよ」
「あ・・・はい。 ・・・すみません、姫。 閣下が僕に用事があるみたいです。
 申し訳ないですけど、これは警護の方に運んでいただきますね」
「・・・・・・そうですね。 では、また明日に」
「ええ、すみません」

昼食を一緒に取れず、がっかりした様子のシェリーナ姫だったが、申し訳なさそうに頭を下げたアンリに小さく微笑した。
美しい花をつけた鉢を姫の警護の者に手渡し、アンリは見張りの兵二人とともに部屋を後にする。
文官に付き従って入り組んだ廊下を小走りで歩き、衛兵の守る扉を何度もくぐり、ようやく目的地へと辿りつく。
・・・そこに、思いがけない顔を発見してアンリは声を上げた。 数日振りに顔を合わせる連れが、兵に付き添われて立っていたのである。

「・・・ミロ! 久しぶり! 元気だった?」
「ああ」

軽く頷いた男の表情は読めないが、彼は腕を伸ばしてアンリの金色のくせっ毛をくしゃりと撫でる。 これは、彼なりの親愛の表現らしい。

「女公閣下がお呼びらしいけど、ミロは何の話だか聞いてる?」
「いや」
「お前達、静かにしろ」

小声の囁きを衛兵にたしなめられ、アンリは首を竦める。

「閣下、連れてまいりました」
「通しなさい」

扉の内側から、よく通る低めの女の声が響く。
聞き覚えのあるその声音は、紛うことなきイディア女公のものであった。
執務室の重厚な扉が開かれ、アンリとミロはその中へと足を踏み入れる。

「数日振りですね、アンリ、ミロ」

上品な茶色のドレスを身に纏ったローシェンブルグ公国一高貴な女性と、彼女を補佐する鋭い雰囲気の背の高い男が、二人を出迎える。
アンリとミロは、彼らに対し揃って深々と頭を下げた。

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