Souls Flow

三章 塔ノ姫君 15

女公の執務室は、数日前に彼女と謁見した広間よりもずっと狭い。
扉から七、八歩ほど奥、豪華な意匠が施された椅子に、イディア女公は優雅に座していた。
窓から差す日の光で、思わず溜息が漏れるような美しい彼女の貌が間近に見える。
前回の謁見は夜だったことと、女公らしい落ち着いた物腰で、彼女は30歳以上だとアンリは思っていた。 だが、実際はそれよりもかなり若そうだ。
彼女にそっくりなシェリーナ姫も、いずれはこのような美女に成長するのだろう。 自分の生徒である少女を少々羨ましく思う。
美貌の女公の背後には、最高位の側近であるルシウスが立ったまま控えていた。
男は白い布地で縁取りされた裾の長い官服に身を包んでいる。
彼が人払いを命じると、入口を固める兵士と彼の秘書らしき文官は恭しい礼と共に退出した。
重い音を立てて扉が閉まる。 それから一呼吸置いて、イディアは朱の紅を引いた形の良い唇を開いた。

「貴方達二人を呼んだのは、他でもありません」

四人がいる部屋に、しなやかな女性の声が響く。

「どうか、私達に協力していただけませんか。 あの女魔導師を捕らえるために」
「・・・何をすれば、いいんですか?」

嫌な予感を覚えたアンリに、ルシウスが女公の代わりに答えた。

「お前達には、囮になってもらう」
「────囮、ですか?」
「そうだ」

女公は背後の側近に目配せすると、自ら二人に説明し始めた。

「公にはされていませんが、実は今、ローシェンブルグ国内で魔力の強い者が失踪する事件が頻発しています。 
 その真相を探っていた矢先に、シェリーナの誘拐未遂事件が起こりました。 おそらくこれらの事件は、無関係ではないでしょう」

女公はその低めの声を一旦切って、再び言葉を紡いだ。

「大陸西のヤン公国では、この国で今起こっているのと同様の失踪が数年前から始まっていたようです。
 ただ、あの国の政情が安定したのはつい最近のことですし、魔獣や妖魔が多く、人をしばしば襲います。 そのため、あまり明確なことは分かりません。
 一つはっきりしているのは、失踪者の範囲は大陸の北半分をゆっくりと東に移動し、三年程前から北のワイエス、そして去年からこのローシェンブルグの北方を中心に起こるようになったということです」

最初、ヤン公国でもワイエス公国でも、それらの届出は家出や行方不明事件として処理されていた、という。
けれど、増加の一途を辿る不審な行方不明者の中に共通点があることが分かってきた。
かつて魔導師として城仕えしていた者や、魔法の使い手として地方でそれなりに名を馳せていた者。 或いは、彼らの子供。 つまり、魔力を人より多く持っている者だ。

「・・・あなた方もご存知かもしれませんが、このローシェンブルグでは十三年ほど前までひどい魔導師狩がありました。
 そのためローシェンブルグの魔導師は、身分を隠したり、或いは人目を逃れて森や辺境に隠れ住む者も多かった。 実際の失踪は去年から始まっていたようですが、そういう事情もあって、国内で発覚したのはつい最近です」

女公は花のような顔を曇らせて、話を続ける。

「ですが、これらの事件には、今まで一人の目撃者もいませんでした。 犯人は巧妙に姿を隠し、尻尾を掴ませなかったのです。 或いは、目撃者を殺害していたのかもしれません。 しかし、初めての目撃者が現れたことを私達は好機と見ています」

女公の語尾を引き取って、彼女の背後のルシウスが口を開いた。

「そのため、お前を呼んだ。 アンリと言ったな。 お前を狙って、再び女魔導師が現れる可能性は高い。 それに、奴とそれなりに渡り合ったと聞いている。 城の伝手で呼べる魔導師よりも、お前の方が役に立つだろう」
「・・・でも、その囮ってすごく危険ですよね。 お断りしたらどうなるんですか?」
「女魔導師に与する者として、処罰を与えることになる。 申し開きはできぬぞ」
「・・・・・・そんな」

絶句したアンリに、執務長官の男は淡々と続ける。

「しかし、協力すれば働きに見合った報酬を与えよう」
「・・・報酬とか、いらないですけど。 でも、選択の余地がないなら引き受けるしかないですよね」
「そういうことだ」
「・・・・・・分かりました」

ふつふつと沸き立つ怒りを堪えて、アンリは頷いた。
ルシウスの硬質な眼差がほんの僅か細められる。

「そこの男も、作戦に同行してもらう。 保護者なのだろう、良いな?」
「・・・もちろん、そのつもりです」
「よろしい。 それと、後で引き合わせる作戦の参加者以外に、この件は他言無用だ」

ミロの意思を確認すると、ルシウスはそう付け加えた。
「では、頼みますよ。 二人とも」 と女公が会話の終了を示す。

「・・・閣下のお役に立てることを、光栄に思え」

ルシウスは最後にそう告げて、二人に退出するよう命じたのだった。



* * *



「・・・なーーーーにーーーーが、『光栄に思え』 だよ! ふざけるのも大概にしろっつーのっ」

・・・・・・腹立ち紛れの呟きに、不気味な鳴き声を立てて枝から鳥が飛び立った。
一瞬身じろぎしたアンリは、忌々しそうに眉間に皺を寄せた。
彼らの周囲の夕闇が降りた森は、少々どころではなく薄気味悪い。 アンリとミロは今、サンティの西側に広がる小さな森の中の小道を指示通りに歩き回っていた。
・・・件の女魔導師をおびき寄せる囮として。
彼らから少し離れた木の陰には、十数名の兵士が息を殺して待機している。
今日の昼間はシェリーナ姫との日課である魔法の練習と昼食を済ませ、夕方からアンリはこの作戦にミロと参加したのだった

(・・・このために、僕らは軟禁されてたんだろうなー。 くっそう)

ざくざくと下草を踏みしめながら、アンリは内心で毒づく。
最初の謁見で覚えた違和感の正体は、つまり今の状況だ。
魔力が大きくて、万が一何かあっても痛手の少ない囮。 身寄りがない流れの旅人であるアンリは、それにうってつけだ。 アンリ同様目撃者であるとはいえ、まさかシェリーナ姫を囮にするわけにもいかない。
女公の話が本当なら、失踪した者達に同情はするし協力できることはしたいと思う。 だが、選択権も与えられずいいように扱われては、釈然としない。
巻き込んでしまったミロに対して、アンリはひどく申し訳ない気持ちになった。 ミロが同行を許されたのは、保護者であると同時に、いかにも腕の良さそうな剣士だからだろう。

・・・作り物のような美貌の裏で何を考えているか読めない女公と、ミロ並の無表情を湛えるルシウス。 一国を統べる彼らの手の内にいる以上、仕方ない状況だと言えるが。 ただ────

(・・・・・・何考えてるんだろう、ほんっとに)

ルシウスの双眸に垣間見えた光が、何となく引っかかる。 同じ無表情でも、ミロとは全く違う印象を与える目だった。
・・・だが、軽く頭を振って、アンリは考えるのをやめた。 不愉快な男の顔を意識の隅に追いやり、隣を歩くミロに話しかける。

「ねーミロ。 こんな仕事、さっさと終わらせたいね」
「そうだな」

彼らの上に広がる夜空と同じ色の瞳が、アンリに向けられた。
迷惑ばかりかけてごめん、と言う代わりに、アンリは軽口を叩く。

「お金を返すまでは一緒にいてくれるんでしょ」
「・・・・・・ああ」
「むちゃくちゃ頼りにしてるからねー」

男の肯定に微笑する。
隣を歩くミロは、今はいつもの大剣を背負っていた。 アンリも、腰に自分の剣を下げている。 作戦参加に当たって使い慣れた武器を使って良いとの許可が出て、返却されたのだ。
左手で馴染んだ剣の柄に触れ、感触を確かめながら、アンリは小さくぼやく。

「でも正直、あの粘着そうな魔導師には二度と会いたくないなー・・・ってミロ?」

不意に立ち止まったミロの気配が、一転して鋭いものに変わった。

「・・・・・・来たぞ」
「!」

二人は同時に素早く剣を抜き放った。
強烈な敵意と魔力の気配が、アンリの肌を焦がす。

「・・・粘着とは、失礼な言い方ね」

聞き覚えのある冷たい声音。 闇から、すっと黒い人影が現れる。
忽然と出現した黒衣の女魔導師は、ゆっくりした動作で深く被っていたフードを外した。
その下から現れた顔は、血の気がないが、整って美しい。
凍りついた湖の如き薄い青の髪と、同じ色の瞳を女は細めた。
鮮やかな紅の唇に酷薄な微笑を浮かべる。

「お前に会ったら嬲り殺しにしようと決めていたのよ? また会えて嬉しいわ」
「・・・こっちは迷惑です」
「ほんと、お前は生意気ね。 生きたまま細切れの方がいいかしら」
「趣味悪いっすよ」

軽口を叩こうが叩くまいが、状況は変わらない。 だから何となく叩く方を選んだ。
予想通り相手の気配が変化する。 明確な殺意を向けられたアンリは、冗談ぐらい分かれ、と内心舌を出す。
その時、月を隠していた雲がすっと途切れた。 木々の隙間に月光が零れ落ち、アンリとそしてミロの顔を照らす。
瞬間、何故か女が驚愕で息を飲んだ。

「・・・貴方・・・」

女魔導師の言葉は、アンリに向けられたものではない。
訝しげに、アンリは隣を見上げる。

「・・・・・・知り合い、だった?」
「・・・・・・いや」

その問いを、ミロは間を置いて短く否定する。

「じゃあ、味方を呼ぶよ」

アンリは首から下げた笛をくわえ、思いきり息を吹きこむ。

ピィーーーーーーー

鋭い音が夜の森に響き渡る。
硬直していた女が我に返った。
静かな森が急にさわめいた。 周囲から、ザッと音がして身を潜めていた兵士達が現れる。 彼らの手にした剣が月明りを反射して煌く。
間違いなく、兵士達は女を視認できる距離にいた。 女をおびきよせることに成功したら兵士の後ろに退いて良い、と言われていたアンリは、無事にお役御免だ、と安堵した。
・・・けれど、その予想に反して戦闘が始まることはなかった。

「この二人、連れて行くわよ」

え、と思った時に響いた冷ややかな女の声は周囲の兵に対する確認で────その意味する所を悟ったアンリは戦慄した。

(・・・何てこった・・・嵌められたのは、僕らの方かよ!)

兵士達は無言で二人に剣を向け、そのまま動かない。
女の手の上で光球が輝き出す。
混乱している場合じゃない。

(突破するしかない?)

アンリを庇うように、無言で剣を構え直したミロに倣って、アンリも覚悟を決めた。
その時、輪になった兵士達を更に囲むように、暗い森の中に幾つもの光が灯った。

「!?」

女魔導師と兵士達に動揺が走る。

「全員捕らえろ! 女魔導師も逃がすな!」

離れた場所から鋭い声が上がった。 その合図と同時に、肩に魔具の明りを灯した別の兵団が輪を狭めるように殺到する。

「魔具の明りを付けた者は味方だ! 間違えるなよ!」

光で照らされたその男の顔に見覚えがある。 アンリの取調べをした警護責任者だ。

「僕らの味方は・・・」
「あちら側だろう」
「だよね!」

小さく頷き交わすと、アンリとミロは明りをつけていない兵に切りかかった。
その場は一気に混戦状態に陥る。
剣戟に混じって、光球が炸裂した。
振り返ると、女魔導師を相手にしていた兵士三人が崩れ落ちるところだった。
女の薄青の目が、アンリに向けられる。

「お前の相手は私よ」

新たな光の球が彼女の手の上で見る見る大きくなってゆく。
青白い手が振られ、光の中から鋭い氷の刃が生じた。
短い時間で流せるだけの魔力を流しこんだ剣をアンリは薙ぐ。
不可視の風と氷の刃がぶつかり、氷が細かく砕け散った。

「!?」

雪のように煌いて飛び散る氷の後ろに、直前までそこにいた女魔導師の姿はない。
翡翠色の瞳が見開かれた瞬間。
アンリの首は、背後からすっと伸びた白い腕に掴まれた。

「お前を殺さなければ気が済まないわ」
「・・・ぅっ」

女とは思えぬ力で締め上げながら、魔法がアンリの首を凍らせてゆく。

(・・・ミロ、助けて)

遠くなる意識の隅で、助けを請う。

ガッ

「っぅあぁあぁぁああっ!!」

骨を断つ鈍い音と、絶叫が響き渡る。
同時に、アンリの体は自由になった。
げほげほと咳き込みながら、アンリは凍傷を起こしかけた冷たい首に触れる。 生きている、と安堵しながら。

「・・・やっぱり・・・貴方は」

女は苦しげに呻きながら、血まみれの腕を押さえて自分を斬った男を見上げた。 ミロはそれを冷ややかに見下ろす。
蹲るアンリは、対峙する二人から手に触れた柔らかいものに目を移して、ぎょっとした。
それは切断された女の手首だった。 そこから、慌てて立ち上がる。

「・・・あの娘だけでも・・・」

弱々しい呟きが耳を掠めた。
アンリが目を上げると同時に、美しい顔を苦悶に歪めた魔導師の女は、その視界からふっと姿を消した。

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