Souls Flow

三章 塔ノ姫君 17

恐るべき早さで部屋中が緑に覆われていく。
シェリーナを包む薔薇の蔓は、まるで意志ある生き物のように蠢いた。
腕に巻きついた蔓を、女魔導師は舌打ちしながら払い除ける。
その際、薔薇の棘が肌を引っ掻いて傷つけてしまう。 手の甲を伝う赤い血に、彼女の不機嫌の度合は頂点に達した。

「・・・今夜は何もかも上手くいかないわね。 いっそ、城全体を吹き飛ばす魔法でも使えたら、せいせいしたのに」

女の赤い唇が不穏な言葉を紡ぐ。
次の瞬間、眩しい光球が部屋を照らし、鋭い氷の刃に変じて蔦の塊に炸裂した。
更に、空気を裂く音とともに飛来する複数の刃が、蔦の塊の表面を切り裂く。
女にとっては、手加減無しの本気の魔法だ。
中の少女も死んだかもしれない。
冷ややかに目を細めたが────けれど、その予想は外れた。
彼女の魔法は、厚い蔦の壁の表面を傷つけたに過ぎなかった。
しかも、そこから芽が出て、新たな蔦が損傷を覆い隠していく。

「・・・絶対に引きずり出してやるわ、小娘」

薄青の瞳に怒りを浮かべ、魔導師は手をかかげた。
しかし、女は発動しかけた魔法を中断する。

(・・・・・・何?)

ギシ、と重い物が軋むような音がした。
女は眉を顰め、周囲に目を凝らす。
壁に取り付けられた魔具の明りに浮かび上がる、蔦の束。 その下の石組みの壁や床に、歪みが生じているのだ。
そして、歪みの原因となっているのはこの魔力を帯びた蔦。 恐るべき成長を続ける蔦が石と石の間に入りこみ、隙間を広げている。
予想外の事態に、女は僅かな逡巡を見せた。

「・・・ああもうっ」

油断している内に足に絡まった蔦を振り払う。
その間にも、壁の不安定さは増していた。
伸びてくる蔦を弱い魔法で切り裂きながら、彼女はこの塔の構造について思考を巡らせた。

(・・・無茶をすれば、塔自体が壊れそうだわ。
 ここは、城でもかなり上層に位置しているけれど、岩盤を削りだして造られたものじゃない。 積み上げられた石でできているのよ)

それ故に、一部でも壁が破損したら均衡が崩れて塔全体が倒壊するだろう。
少女を守るはずの魔法は、今や、その目的を見失って暴走しているように見えた。 闇雲に成長する蔦が、建物を破壊へ導いていることがその証だろう。
美しい顔に、迷いの色が浮かぶ。
できれば、シェリーナを連れ去りたい。
が、ここに長い時間留まれば、倒壊の巻き添えに遭う可能性が高かった。
・・・少女を包む蔦の繭を、塔が倒れるまでに破壊することができるだろうか?
答えは────否、だ。

(・・・この私が、手も足も出ずに逃げるなんて)

女は美しい唇を、きゅっと噛みしめた。
さっと踵を返すと、氷の槍で扉付近の蔦を吹き飛ばす。
衝撃に、塔が低く悲鳴を上げる。
もう、この場に留まる理由はない。 長い黒衣の裾を翻し、蔦が絡まる螺旋階段の入口で転送の魔法を発動させる。
移動先は、螺旋階段の終点。
空間が陽炎のように揺らめいて、女は塔の下の回廊に姿を現す。
────瞬間、鋭い剣戟の音が彼女の耳朶を打った。



・・・その、ほんの少し前。
塔の入口に辿りついたアンリとミロの二人は、そこを守る兵士に行く手を阻まれていた。

「これ見てよ。 リヴェラさんの服についてた紋章! あの人に頼まれて、ここに来たんです!」
「何度も言うが、駄目だ。 ここを通すことはできない」
「ならせめて、あなた達がシェリーナ姫の様子を見てきてくださいよ」
「姫はもう就寝なさっている。 それに、お前の言うような魔導師はここに来ていない。 去れ」
「だからー・・・」

頑として立ちはだかる兵士達に、アンリは詰め寄る。
それをミロが後ろから押し留めた。 怪訝な表情で振り返ったアンリの耳元で、彼は小さく囁く。

「・・・・・・アンリ、変だ」
「・・・え?」
「近くであれだけ派手な魔法が使われていて、彼らが平常でいることがおかしい」

・・・確かに、ミロの言う通りであった。
ここに来るまでの間、何人もの兵士が攻撃魔法によって倒れているのを見た。
彼らがこの異常に気づかないはずがない。 なのに、何事もなかったように振舞う理由は────

「・・・それってつまり」
「彼らは執務長官側の人間だろう」

ミロは天井をちらりと見上げて言葉を継ぐ。

「それに、上の方の気配がおかしい。 力の流れが乱れている」
「・・・シェリーナ姫がもう襲われてる?」
「おそらくな」
「なら、強行突破しかないよね」
「ああ。 このままでは埒があかない」
「りょーかいっ」

アンリは兵士達に向き直って、にっこりと笑顔を浮かべた。
そして、ご愁傷様、と内心呟く。 自分はともかく、ミロにかなう剣の使い手などそうはいない。

「・・・・・・じゃー行くよ。 せーのっ!」

アンリの合図と同時に、二人は剣を抜いて兵士達との距離を詰める。

「っ!!」
「こいつらを止めろ!」

叫んだ彼らが抜剣するより早く、神速で繰り出されたミロの剣を胴当てに受けた二人が弾き飛ばされた。
アンリは大きく振り回された剣をかいくぐって、足払いをかける。
そして、倒れた兵士の腹を思い切り踏みつけて、跳躍する。
宙で一回転して別の兵士の背後を取ると、魔力を流した剣を一閃させた。
不可視の刃に吹き飛んだ男は壁に強く打ち付けられ、くぐもった呻き声を上げた。
崩れ落ちる男に目もくれず、アンリは右側から振り下ろされた剣を受け流す。 金属同士がぶつかりあう鋭い音が響き、火花が散る。
その後ろで、ミロは三人の兵士を相手取っていた。
彼の重い斬撃をまともに受け、相手の武器が乾いた音を立てて石の床に転がる。
間髪入れず容赦のない一撃が加えられ、彼は床に沈んだ。
彼を取り囲む男達は、その圧倒的な強さに後退る。
・・・一方で、アンリは苦戦を強いられていた。
右、左と近い間合いから剣を振るわれ、魔法を使う余裕がないまま少しずつ壁際へと後退する。

(左かっ?)

いちかばちかの予想は当たった。
勢いを殺さないまま相手の剣を流す。 兵士の体勢が崩れた所に、瞬時に掌に集めた魔力を彼に向けて解放する。
思わぬ風圧を受け、膝をついた彼の頭上へアンリは剣の柄を振りかぶった。

「ぐっ・・・」

苦しげに呻いて、男は倒れた。
蹲る男からさっと離れて左右を確認する。 そのアンリの視界に、見覚えのある黒衣の影が映った。

「さっきの魔導師!? ・・・げ、手が生えてる!」

アンリはぎょっとして、ミロに切り落とされたはずの女の手を凝視した。

「と、とかげの尻尾・・・!」
「・・・いちいち、むかつく小僧ね」
「・・・・・どうやってそれをやったか気になるけど、それよりもシェリーナ姫をどうしたの? あなたは姫を連れ去るつもりだと思ったんだけど」

アンリは慎重に剣を構え直しながら問う。 女は、美しい顔に嘲るような微笑を浮かべた。

「あら、いい読みね。 でも小娘の魔力が暴走したせいで連れて行けなくなったのよ。
 まあ、どうでもいいわ、あの小娘は放っとけば死ぬでしょう。 この塔はそろそろ崩壊するわ。 ほら、石の間に入り込んだ蔦がそこまで来てる」

アンリは、女の指した方に目を凝らした。
・・・女の言う通りだった。 螺旋階段の入口付近から、異常な速さで植物の蔓が伸びてきている。

「小娘を攫えなかったのは残念だけど、私はもうこの城に用はないの。 そこをどいてくれない?」
「・・・っ」

女はすっと扉の前から移動する。
彼女の動きに合わせて、思わずアンリは一歩下がった。
その視界が、不意に広い背中で遮られる。

「アンリ、ここはいい。 お前は公女を助けろ、できるか?」
「・・・うん、やってみる」
「無理はするな」
「わかってるよ。 ミロ、あなたもね!」

早口で告げると、アンリは螺旋階段の入口に体を滑りこませた。
アンリが去って、この薄暗い廊下に立っている影は黒衣の魔導師と彼だけになった。 ここを守る兵士は、既に全員が床に倒れている。
長身の男はすっと大剣を構えた。
彼らを取り巻く静寂は、けれど、不意に破られた。
ぐらり、と回廊が揺れた。 塔が限界に近いのだろう。
均衡を崩した女に隙が生じ、その一瞬で男は女魔導師との間合いを詰めた。
女の姿が消え、振り下ろされた剣先は空を切る。
だが、空間が歪む気配を男は逃さなかった。
数歩離れた場所に再び姿を現した女は、次の瞬間、白い喉元にピタリと切先を向けられていた。
薄青の目が見開かれる。
────しかし、女は恐怖するでもなく、くっと喉を鳴らした。

「ねえ・・・・・・私、知ってるのよ」

くすくすと笑い出した相手に、ミロは怪訝な表情を浮かべる。
黒衣の魔導師は、それを見て目を細めた。

「貴方、過去の記憶がないんでしょう? それって、どんな気持ちかしらね?」

不意を打つ言葉に、ミロは夜色の目を僅かに見開いた。
その双眸を見返しながら、美しい女は嫣然と笑った。

「孤独? それとも、不安?」
「・・・・・・」
「でも、私なら記憶を思い出させてあげられるかもよ」
「・・・お前は、俺を知っているのか・・・?」
「さあ? 一緒に来てくれたら教えてあげる。 あの小僧なんか放っといて、私と一緒に行きましょうよ」

女は、ゆっくりと剣先から逃れた。 そして白い腕を伸ばす。
夜色の双眸に惑いが浮かぶのを見て、赤い唇に浮かんだ笑みが深くなった。
ミロは僅かに身じろぐ。 けれど、その場を動かない。
・・・・・・細い指が男の頬に触れた刹那。
凄まじい音を伴って周囲が揺れた。 天井から石の欠片が降り注ぐ。
それは、崩れ落ちた塔の一部が彼らのいる回廊の天井を直撃した衝撃であった。



ミロと別れ、一気に塔の上まで駆け上がったアンリは、絡まる枝を剣で切り裂きながら、蔦に包まれた気配に必死に呼びかけていた。

「姫! シェリーナ姫! 返事してください!」

────アンリの声が聞こえる。
繭の中で、シェリーナは緩慢に体を起こした。
顔を上げた少女は、不可思議な蔦が自身を護るように周囲を覆っていることに気づく。
あの、女魔導師はどうしたのだろう・・・わたしは魔法をつかって・・・でも、なぜアンリが、ここに・・・?

「そこにいるんでしょう、姫っ」

朦朧としていた意識が、鮮明になっていく。
少女は、アンリの声がする方向へ泣きそうな声で叫んだ。

「・・・アンリ! アンリ、きてくれたのね!」
「姫! ああ、良かった・・・ご無事だったんですね!」

安堵した声は、けれどすぐに緊張を帯びる。

「シェリーナ姫、よく聞いてください。 このままでは、僕はこの蔦を壊してあなたを助けることができません。 今すぐ魔力の制御を取り戻してください。 いつも通りやれば、きっとできます」
「は、い・・・わかりました」
「落ち着いて、深呼吸してください」

頷いて、少女は胡桃色の瞳を閉じた。
息を整え、魔力の流れを掴む。
近くにいるアンリの存在が、彼女の精神を奮い立たせた。 次第に平常心を取り戻していく。
外に向かおうとする魔力を、ぐっと体内へと引き寄せる。

(・・・・・・うまく、いった・・・?)

少女の魔力が安定するに従って、蔓の蠢動が静止する。 やがて、その成長はぴたりと止まった。

「・・・よくできました、姫。 ちょっと下がってくださいね!」

言うが早いか、風の魔法が蔦の壁を切り裂く音が聞こえる。
やがて、枝の向こうに鮮やかな金髪が覗いた。
最後は素手で蔦を掻き分けた相手の顔が見えた時、少女は声を詰まらせてその名を呼んだ。



「アンリ!」
「良かった、ご無事ですね」

小さな体を蔦の中から引っ張り出すと、アンリは幼い姫をぎゅっと抱き締める。
そして、すぐに少女を下ろして背後に庇った。

「姫、下がっててくださいね」

風の魔法を乗せた剣の一閃で、近くの窓枠を破壊する。
幸い、古びた窓枠はすぐに壊れてしまった。

「ここから回廊の上に飛び降りますよ! 姫、しっかり掴まっててください!」
「は、はい」

アンリは窓から身を乗り出す。 塔に渡された回廊の両側は、一方は城の壁。 そして、もう一方は遥か下の地上だ。
けれど、そこそこの広さがあるから、多少目測がずれても地上に落ちはしないだろう。
意を決して窓枠を蹴り、三階ほど下の回廊めがけて跳躍する。

ドサッ!

・・・魔法で落下の衝撃を多少やわらげたものの、石の天井に体を打ち付ける。 衝撃にアンリは呻いた。 ぐっと息が詰まる。

「・・・あー、きっつ・・・怪我はないですか、姫」

けほ、と軽く咳き込みながら、腕の中の少女に声をかける。

「だ、だいじょうぶです。 アンリがかばってくれたので。 あなたはだいじょうぶですか?」
「まあ、何とか平気です」

互いの無事に安堵した二人の頭上。 すうっと月光を遮って、大きな影がさした。

「・・・げ」
「や・・・」

崩落を始めた塔の一部が、二人のいる方に落下する。
アンリは少女を抱えて、素早く飛び退った。
一瞬前まで二人がいた場所に、轟音を上げて石の壁が飲み込まれる。
その衝撃に足元が揺らいだと思ったら、二人の体は再び宙に投げ出されていた。



ゆっくり倒れていく塔と、二つの月がやけにくっきりと見えた。
地上は遥か遠く、そして途中に遮るものはない。 このまま落ちれば、まず助からないだろう。

(も、駄目かも・・・!)

少女をぎゅっと抱き締めたアンリが死を覚悟した瞬間────ガクン、という衝撃とともに体が落下をやめた。
おそるおそる目を開けてみると、自分の足首を誰かが掴んでいる。 あれは────

「・・・ミロ!」
「・・・・・・暴れると落ちるぞ」

アンリの片足を掴んだ彼は、回廊の外側にあるほんの僅かの段差に片手でぶら下がっている。

「今引っ張り上げる、待っていろ」

1.5人分の体重を片腕で軽々支えている男は、相変わらずの無表情で言った。

「・・・た、助かったぁ! てか、絶対絶対手を離さないでね!」

アンリが念を押した時、下から凄まじい地響きが上がった。
腕の中のシェリーナ姫が小さく悲鳴を上げる。
逆さのまま地上に目を向けると、粉塵の下からさっきまで塔だったものの残骸が見えた。
ああならなくて良かった、とアンリは心から安堵する。
しかし、一安心にはまだ早かった。
・・・・・・引き上げられる際、ミロによる曲芸師さながらの軽業に付き合わされ、アンリとシェリーナは再度死の恐怖を味わわされたのだった。

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