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三章 塔ノ姫君 18

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男は、シェリーナを抱えたアンリを逆さ吊りにしたまま片手で回廊の外壁を軽々と上って行く。
アンリとシェリーナはその間、彼が手を滑らせぬよう必死で祈りながら目を瞑っていた。
そして、崩落した壁の隙間から回廊の内側に下ろされた時、二人は暫く口も利けずに蹲った。
塔が落ちた地上の方が騒がしい。 あの轟音に人々が驚いて集まりだしているのだろう。

「・・・とりあえず・・・ありがとう、ミロ」
「ありがとうございます・・・」

息も絶え絶えな二人に、男は小さく頷いた。
信じられない軽業を披露しながら、ミロは息切れ一つしていない。
崩れた天井から、青白い月光が降り注ぐ。 その光に浮かぶ静謐な横顔を、アンリはちらりと見上げた。
(・・・ミロっていろいろと人間離れしてるよね) と妙な感慨に耽ったが、ふと首を傾げた。

「あれ。 そういえば、あの魔導師は?」
「・・・崩落と同時に姿を消した、と思う。 その前まではここにいた。
 壊れた壁の隙間からお前が落ちていくのが見えて、とっさに外に飛び出したから、実際の所は分からない」
「お陰で命拾いしたとはいえ・・・・・・無茶すぎじゃない、それ」

若干青褪めたアンリは、気を取り直して瓦礫の下を覗きこむ。
・・・人体のような物体はとりあえず無い。
気絶した兵士達の中にも、崩落の下敷きになった者はいないようだ。

「取りあえず、ここにはもういないみたいだね。 転送の魔法で逃げたのかな」
「多分な」
「そっかぁ。 ・・・何はともあれミロが無事で良かった。 あの魔導師、強いから心配だったんだ」

にこりと笑うと、アンリは少女の方に声をかける。

「姫、そろそろ移動した方がいいかもしれません。 大丈夫ですか?」

呼びかけに、少女は 「はい」 と小さく頷いた。 その顔には生気がない。 魔力と気力を使い果たして、疲労困憊しているらしい。
その時、廊下の奥から慌しく近づいて来る兵士達の足音が聞こえた。
ミロとアンリは目配せして剣に手をかける。 が、兵を率いた男の顔を確認して力を抜くいた。
集団の先頭に立っている彼は、先ほど城の入口で別れたリヴェラであった。

「アンリ、ミロ! 姫もご無事だったのですね」

彼はアンリの傍らにいる少女に大股で駆け寄った。

「良かった・・・お怪我はありませんか?」
「ええ、ありません。 このふたりがたすけてくれましたから」

安堵の色を見せたリヴェラはすぐに顔を引き締めた。 部下に目配せして、少女を安全な場所に連れて行くよう指示する。
そして、アンリとミロに向き直った。

「姫を助けてくれて礼を言う。 女魔導師はやはりここに来ていたのか? 奴はどうした?」
「すみません。 見かけたんですけど、逃げられたみたいです」
「そうか・・・しかし、まだ城内にいるかもしれん。 部下に捜索させよう。 この倒れている者は?」
「魔導師を姫の部屋に引き入れてたみたいなので、執務長官側の人じゃないかと」
「よし、全員縛って連れて行け」

残った部下に命令したリヴェラに、ミロが問う。

「魔獣の方は?」
「何とか殲滅した。 怪我人は出たが、死人は出ていない」

振り返ったリヴェラはそう返した後、更に言葉を続けた。

「それより、これから城は更に騒がしくなる。 姫の身柄を確保し次第、混乱に乗じてルシウスの一派の者は全て捕らえよ、と女公から命令が出た。 お前達は部屋でじっとしていろ」

男は二人に護衛を付けると、来た時同様慌しく去って行く。
彼の後ろ姿を見送ったアンリとミロは、先導する護衛に続いてその場を後にした。

────その時、城の屋根から彼らを見下ろす黒衣の影に気づく者はいなかった。 そして、瞬き程度の間に、影は夜の闇に溶けこむよう消える。
それ以降、黒衣の女魔導師がサンティの城に姿を現すことは二度となかった。



* * *



様々な事件が起こった目まぐるしい一夜が明けた。
翌日の午後、リヴェラに呼び出されたアンリは、シェリーナ姫救出について聴取を受けていた。
約半日ぶりに会う彼は、あらゆる事後処理に忙殺されていたらしい。
顔には濃い疲労の色が浮かぶ。 どうやら、一睡もしていないようだ。
一方、彼にシェリーナ姫を引き渡した後、部屋から出るなと言われたアンリは呼び出されるまで惰眠を貪っていた。
内心彼に同情する。

「・・・よし、いいだろう。 もしかしたらもう一度呼び出すことがあるかもしれんがな」

アンリの供述を書き留めると、男は筆を置いて顔を上げた。
前回の聴取と違って、今回はすんなりと終わった。

「今回は嫌味を言わないんですね」
「その手を見れば、お前の言ってることが嘘じゃないと分かるだろう。 すまなかったな」

彼が指差したアンリの手には、白い包帯がぞんさいに巻かれている。
薔薇の蔓を素手で掻き分けた際、棘が細かい切り傷をつけたのだ。

「あれ。 リヴェラさんが優しい」
「お前は、俺を何だと思ってるんだ」
「冗談です、そんな怖い顔しないでください。 怪我は大したことないのでご心配なく。 ・・・ところで、捕まったルシウス様はこれからどうなっちゃうんですか?」

広間での騒動は、既にアンリの耳にも入っていた。
女魔導師はルシウスを裏切り、全員の前で糾弾して、その場に魔獣を呼び出したのだ、と。
そして昨晩の内に、女公はルシウスと彼の一派を全て捕らえたらしい。 以前からこの状況に備えて準備していたのだろう。
でなければ、これほど素早く対応できるはずがない。
アンリの疑問に、男は首をコキコキ鳴らしながら答えた。

「身分を重んじて今は軟禁されているが、動かぬ証拠があるからな。 それに、彼はおそらく国内の失踪事件にも関わっているだろう。
 国家への裏切りと、あの魔導師に加担した罪とで死刑は免れないはずだ」
「・・・死刑、ですか」

今回さんざん危険な目に遭ったけれど、だからといってアンリ自身は彼が死んでいいとまで思っていなかった。
整った顔に複雑な表情を浮かべ、半ば独り言のように呟く。

「・・・ルシウス様はなぜ裏切りなんか企んだんでしょうね。 女公閣下と協力して仕事してるように見えたし、身分も高いのに。 まあ、嫌ーな感じの人ではありましたけど」
「お前は一般人だからな。 いろいろあるんだよ、権力者にはな」
「いろいろ?」

首を傾げたアンリに、男は苦笑した。

「お前も、ラ・トゥール聖導王国の後にできたヤン公国を知ってるだろう?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、あの国の大公が、ラ・トゥール聖導王家や三公家の血を引いていないってことは?」
「知ってます」
「それさ。 王家や公家の者でなくても国を興せるという前例ができてしまったからな」

男はそう言って一つ溜息を吐き出した。

「各国は今、戦々恐々としているだろう。 逆に、あの女魔導師にとってルシウスのように野心ある者は絶好の取引相手だったのかもしれん」
「野心、ですか」

アンリは彼の鋭い双眸を思い出す。 常に無表情だったその目の奥にあった光。 あれは、他人より上に伸し上がろうとする、強い意志の顕れだったのかもしれない。
男はアンリに頷いて、言葉を続ける。

「女公は、先代の大公が追放した魔導師たちを城に呼び戻そうとしていたんだ。
 それによって女公の権力が強まるのを恐れて、ルシウスは様々な妨害を試みていた。
 例えば、魔導師への差別が強まるような流言を流したり、シェリーナ姫が魔獣を呼び寄せてるとか、そんな出鱈目をな」
「それ、僕も耳にしました」

市場で果物屋の女主人が口にした噂をアンリは思い出す。

「まあ、彼が捕まったことで流言は薄れていくといいがな。 失踪事件については、女魔導師に逃げられたから解決に時間がかかりそうだが・・・まあ、それはこちらの責任だ」

男は苦々しげに言ったが、気を取り直してアンリに連絡事項を告げた。

「お前達の監視は解いておく。 城の中は自由に移動していいぞ。 あと、医務室にもちゃんと行っておけ。 それと・・・褒賞も出るが、お前達さえ良ければ城に残ってほしいと閣下が仰っている」
「え? それって・・・」

瞬きしたアンリに、男は 「城勤めの給料は悪くないぞ」 とにやっと笑った。
そこで、扉が叩かれ話が中断する。 どうやら、呼び出しがかかったらしい。
「考えておいてくれ」 と言い、彼はアンリに退出を命じた。

「・・・失礼します」

一礼してリヴェラの執務室を下がり、アンリは足を居室の方へ向ける。
しかし、ふと立ち止まって考えこむと、ポケットの石を取り出して光の方向を確かめた。
男装の少女は踵を返し、再び居室とは逆の方へ軽快に歩き出したのだった。



光溢れる城の中庭。
その中央に、ぽつりと男が佇んでいた。

「ミロ、見っけ」
「・・・・・・アンリ」
「ここで何やってるの? って、うわぁ・・・これ、すごいね」

感嘆とともにアンリは上を見上げた。
ここは城の上部まで続く水道管の先端部分なのだろう。
大きな人工の池の背後は巨大な城の壁になっていて、そこにアーチ状の穴が穿たれていた。
アンリの背三つ分ほどの高さの空間は奥行きも同じくらいありそうだ。
そこに、池の水が縦に吸いこまれている。 下から上へと、重力に逆らって流れる水の柱だ。

「・・・あれ、何だろう?」

目を凝らすと、水の柱の中に不思議な光が揺れているのが見える。

「水の属性を強めた石だ。 ロイドライトを大量に含んでいるんだろう」
「あれで水を吸い上げているの?」
「そうだ」
「へー、よく知ってるね」

感嘆の声に、けれどミロはなぜか黙り込む。
サンティ近くを流れる大河から地下水道を通して、この貯水池に透明な水が溢れ出していた。
キラキラと陽光を遊ばせる水面を見ながら、アンリは口を開いた。

「今回のことで褒賞が出るってリヴェラさんが言ってた。 そしたら、あなたは僕にお金を返せるね」
「そうだな。 褒賞を貰ったらすぐに返す」

頷いた彼に、アンリは 「そっか」 と呟いた。 そして真面目な表情を作って見せる。

「そしたら、僕達は対等な関係になるよね。 ってことは、僕達は少なくとも友人同士。 ・・・で、僕は友人のあなたに、力になりたいと思ってる」
「どういう意味だ?」

しげしげと自分を見つめる男に、アンリは微笑した。

「あなたは、何か理由があってじいちゃん、つまり賢者ジオットに会おうとしてたんでしょ?
 彼は死んじゃったけど、同じように力ある魔導師ならあなたの願いを叶えてくれるかもしれない」
「・・・つまり?」
「僕はこれから、ジオットの言付けで、『化石の森の魔女』 に会いに行くんだ。
 まあ、彼女はすごい人嫌いらしいから僕と会ってくれるか分かんないし、無駄足になっちゃうかもしれないけど」

アンリは 「じいちゃんは彼女に嫌われてたらしいし」 と苦笑し、続けた。

「それでも良ければ、一緒に行くのはどうかなって。 でも・・・あなたが城に残るならここでお別れかな。 ちょっと寂しいけど」
「俺は・・・残るつもりはない」
「そっか」
「お前も、断るつもりなのか?」
「うん。 僕みたいな一般人に、宮仕えは多分向いてないし」

あっさり言ったアンリに、男は微妙に戸惑いの色を浮かべた。

「・・・アンリは、俺が怖くないか?」
「怖くないよ。 昨日はちょっとだけ怖いと思ったけど、今は怖くない」

翡翠色の目が、真っ直ぐミロに向けられる。

「あなたは、無闇に誰かを傷つけたりする人じゃない。
 僕達が出会った時、あなたは森狼を殺さなかった。 昨晩のことだって、立場が逆なら、僕があの魔導師の手を切り落としてたかも」
「・・・・・・」
「あんな態度を取って本当にごめんね。 そして、何度も助けてくれてありがとう」

夜色の双眸が細められる。
低い声で 「一緒に行かせてくれるか」 と返された時、アンリは整った顔を綻ばせて大きく頷いたのだった。



* * *



数日後、旅装を整えたアンリとミロは、再び女公との謁見に臨んでいた。

「・・・あなた方が城を去るのは残念です」
「申し訳ありません」

そう言って、アンリとミロは跪いたまま頭を垂れる。

「まあ、仕方ないですけれど。 もし、今後サンティに寄る機会があれば、ぜひ顔を見せてくださいませ。 この子も喜びます」

イディアは幼い娘にちらりと視線をやって微笑した。
母の近くに控えているシェリーナは寂しげな表情で二人を見つけている。

「その時は、我が夫もあなた方を歓迎するでしょう。 彼は近く城に戻ってくる予定ですから」
「公婿閣下はご病気が治られたのですか?」

アンリが目を上げると、イディア女公は華やかな笑顔を浮かべた。

「実は、彼が病気療養中というのは嘘なのですよ。
 策謀に疎いおっとりした人なので、あっさり毒でも盛られてしまいかねないと思い、遠くに避難してもらっていました」

困った口ぶりだが、公婿について語る女公は非常に嬉しそうだ。
彼女の少女のような一面を見て、アンリも思わず微笑んだ。
どうやら大変仲が良い夫婦らしい。 父親の帰還は、シェリーナ姫にとっても幸せなことだろう。

「では、気をつけて行きなさい」
「また、きてくださいね。 アンリも、えと、ミロも」

イディア女公とその幼い姫が、それぞれ二人に声をかける。

「ありがとうございます、閣下。 シェリーナ姫、きっとまた会いに来ますよ」
「いずれ、機会がありましたら」

美しい親子に深く頭を垂れて、アンリは微笑しながら、ミロは普段通りの無表情で立ち上がった。
一礼して広間を後にする。
城門前では、繋いだ馬の傍にリヴェラが立っていた。

「気をつけてな」
「ええ・・・お世話になりました」

アンリは彼に笑いかけ、ミロは黙礼し、荷物を乗せた馬に跨る。
すっかり包帯の取れた手で手綱を握ったアンリに、壮年の男はにやっと笑った。

「手、良くなったんだな」
「お陰様で。 城の医者に診てもらう幸運なんてそうそうないですよ」
「それは重畳。 ミロとは、手合わせを願いたかったんだがな。 また城に寄ることがあれば頼む」
「ああ」
「じゃあ、またな。 アンリ、ミロ」

男は大きな手を振った。
二人は頷いて、馬の腹を蹴る。
降り注ぐ太陽の光が眩しい。 翡翠色の瞳が細められた。
二つの騎影は開け放たれた門をくぐり、公都を守るように聳える荘厳な石の城を後にした。

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